日々の想いを思いのままに

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就活でありがちな「感動したことは何ですか?」という質問に対する答えが難しすぎる話

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↑面接官 

   就活の面接などではよく「(人生で一番、あるいは最近)感動したことは何ですか?」と聞かれる(らしい。本屋で就活の面接の参考書を読んでいたらやたら収録されていた)

 

 実はこれ、答えるのがかなり難しい。かなりの難問である。しかもそれでいて何の役にも立たない

 

 なぜなら組織に勤める生活を送る時点でほぼ感動とは無縁の生活を送るからだ。

 

 いつもと変わらないムカつく満員電車、ムカつく人。

 

 会社につけばムカつく上司、それをとりまく人間関係。出世は実力ではなくどれだけ人間関係を円滑にできるかという忖度力。

 

 とどめを刺すように非効率で不合理な労働。

 

 「会議は踊る、されど進まない」会議。それでいて話だけはとっちらかるというcomedyぶり。

 

 もはやオッサンのオッサンによるオッサンのための会議でしかない

 

 ホリエモン風にいうと、「やっていること自体を誇りたがるバカ」である

 

 どう考えても感動することなんてほぼほぼ起きないし、それどころか憎悪の感情すら想起する。

 

 話を戻そう。どうして感動した系の質問が難しいのか、それを最近系、人生で一番系にまとめて書いていく。

 

 

 

最近一番感動したことは何ですか?

 これは極めて難問である。なぜなら私たちは日常的に感動するような出来事にめったに出くわさないし、そもそも感動すること自体そうそうない。

 

 考えてみよう。

 

 日常的に感動しまくるやつって異常だ

 

 「うわあ!!咲いているお花がきれい!!!なんて素晴らしいんだろぉぉぉ!感動した!」

 

 「見て!!虹がかかっているよ!!!なんて幻想的なんだろう!感動した!」

 

 「ご飯っておいしいよね!!本当に感動するよ!!!」

 

 どうだろう。

 

 こんなことにいちいち感動している人間とか心が冷め切っている私から見るとキチ〇イでしかない。

 

 というかそんなことにいちいち感動するやつとか偽善者にしか見えない。

 

 昔小泉総理が貴乃花に対し「感動した!」と言った。

 

 最近感動したこともなにも感動すること行為自体まれなので、感動する出来事がない

 

 会社がもし日常的に感動する「優秀な」人材をバコバコ採用していたら、その会社は感動の大洪水に飲まれ、ノアの箱舟のごとくその会社を脱出しなければならなくなる。

 

 でもまあ確かに日常的に感動することは重要かもしれない

 

 それこそ「日本は物質的には豊かだが、精神的には貧しい」のだから。

 

 物質的に豊かになりすぎた私たちは貧しくなってしまった精神を豊かにすべく「咲いているお花」に「感動」したり、雨上がりの虹に「感動」したりご飯の「おいしさ」に「感動」することは大事かもしれない。

 

 そんな私も「物質的には豊か」だが「精神的に貧しい」のかもしれない。

 

 そういうわけで、つまり感動すること自体まれなので「最近感動したことは何ですか?」という質問に答えるのは難しい

 

 そういうことを聞いてくる無能な面接官が超絶感動野郎だったら大爆笑だが。

 

 

 私はというと、最近あいみょんの歌に感動しました。

 

人生で一番感動したことは何ですか?

 「最近」感動すること自体難しいのだから、人生で一番感動したことを答えるなんて至難の業である。

 

 もっというと、たかだか20年そこらしか生きていない学生に「人生で一番感動したこと」を聞くなんて愚行でしかない。

 

 返ってくる答えなんてせいぜい「受験に合格しました」とか「部活で優勝しました」とかその程度だろう。

 

 ちなみに私は冗談でもなく20何年の人生で感動したことはほぼない

 

 部活でも結構勝つ機会もあったが、別にレギュラーでもなく、(というか実は私個人プレーの方が好きなので)そんな涙を流すほどのことでもなかった。

 

 

 受験にしたって大学受験では失敗が多かったのでさして嬉しいということもなかった。

 

 話がそれるが、小学生の頃、学校で『火垂るの墓』を見る機会があった。

 

 どんな名目の授業かは覚えていないが、きっと文科省が大好きな道徳の授業だったと思う。

 

 なぜ文科省が道徳好きかというと、道徳という教科が国民の思想を手っ取り早く統制できるからである。私の邪推だが。

 

「星野君の二塁打」に隠された道徳教育のホンネ

 

 まあそれは置いておいておこう。

 

 んで、その当時の教師が言った言葉が「『火垂るの墓』を見て感動しないのは人間ではない!」であった。

 

 もうこれ人権侵害じゃね、、、?

 

 文の流れから私がどうなったかわかるだろう。

 

 そう、その時から私は人間ではなくなった。わずか9歳か10歳ぐらいにして

 

 人間ではない何か、、、私は一体何者なのだろう、、?

 

 フランツ・カフカの小説に『変身』という作品がある。

 

変身 (カフカ) - Wikipedia

 

 青年グレゴール・ザムザという人物がある日目覚めると自分が巨大な毒虫になっていたというアレだ。

 

 私ももしかしたらそういう類いの感じかもしれない。実は自分は巨大な毒虫だったみたいな。

 

 自分が知らないだけであって、私の正体はグレゴール・ザムザ同様、毒虫なのかもしれない。

 

 なんかめちゃくちゃ話脱線したが、人生で一番感動したことを答えるのは最近感動したことを答えるのと同様難しいのだ。←強引に話を戻した

 

 まあしょせん日本のシュウカツなんて無能な面接官との大喜利合戦なのである。

 

 

 こういうことばかりだから日本の労働環境が改善されないのだし、有給の消化率が先進国最下位というブザマな結果に終わるのだろう。