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【社会人】なぜ日本の労働環境は非効率と不合理に満ちているのか?

 「働き方改革」と叫ばれているが、日本の労働環境はいまだに非効率と不合理に満ち満ちている。

 

 なぜそれらが改善されないかと言えば、もう結論を言ってしまうと、仕事以前にあまりにムダなことが多いからである

 

 スーツ、通勤電車、電話、名刺交換、メールの書き方、尊敬語・謙譲語、飲み会のお酌とか上座下座とかの意味不明なルール、これらムダなことを新入社員に対し研修という名の従順化によって教え込む。

 

 この負の連鎖が循環し、現在の日本の非効率・不合理な労働環境が成り立っている。

 

 では上記のムダなものがどれほどムダなのか、具体的に書いていこう。

 

 

 

スーツ

 最初に言っておくが、スーツは着たい人だけが着るべきだ。着たくもないのに無理に着ないほうがいい。

 

 スーツはまずパフォーマンスが悪い。夏はクソ暑く、冬はクソ寒い。夏場に着るスーツとかほんと地獄である。Yシャツに染みつく汗。もう本当にえげつない。

 

 そういう服を着て1日を過ごそうとするとどうなるか。

 

 当然仕事のパフォーマンスは悪くなる。重たくて汗がつきやすい以上それに対し気にならない人はいない。本来は仕事に集中しなければならないのに、スーツを着るというムダなコストにより集中力がそがれてしまう。

 

 温度調整もしずらいので体調を崩しやすくなる。夏場の冷房がガンガン効いた満員電車の中でスーツとなると体調を崩すこと必須である。

 

 これでは仕事の効率が上がるはずがない

 

 スーツの着心地を良くしようとすると、それはそれで金がかかる。今は動きやすさをウリにしたスーツが市場に出回っているが、値段が高い。

 

 普通のスーツを着れば着心地が悪いという労働的なコストが生じ、着心地の良いスーツを着ようとするとカネというコストがかかる

 

 スーツを着るほどに私たちはムダなコストに付き合わなければならなくなる

 

 

 私たちは全く割りに合わない買い物をしているわけである。

 

通勤電車

 通勤電車から様々な非効率や不合理を導き出せる。言うまでもないが通勤時間が無駄すぎる。30分程度ならわかるが1時間以上かかるのは時間的な損失があまりにも大きい。

 

 通勤に片道1時間かかるとすると往復に2時間、それを週5日(社畜はそれ以上)となると10時間、土日を抜いて1か月の労働日数が20日だとすると40時間の損失である。

 

 それを12か月続けると(祝日や有休があるので実際はもっと少なくなるが)40×12で年間500時間近くの損失を被ることになる。

 

 で、これを約40年(一億総活躍社会なのでこれからもっと長くなるが)約500×40で20000時間通勤に時間を食わされることになる

 

 もちろんこれはおおよその数字で実際にはもっと長い人もいれば、「職住近接」によりもっと短い人もいるだろう。また地方では車が主な移動手段なので状況は違うかもしれないが。

 

 都会での通勤電車は移動時間の問題に加え満員電車に乗ることが多く、電車の遅延も頻繁に(というかほぼ毎日)起こる。

 

 これはかなりのストレスである。というか満員電車が電車の遅延を引き起こしている原因の1つなのだが。

 

 

 結局スーツと同様仕事以外の問題にエネルギーを使うことになり、仕事のパフォーマンスが上がらない。

 

電話

 今すぐ伝えなければならない緊急性を要することなら仕方がないが、いまだにどうでもいい事務連絡を電話で伝えてくる人間がいる。

 

 「緊急性のない事務連絡はメールやラインなどの文字媒体で」を徹底させるべきである

 

 これも仕事を非効率・不合理にする一因だ。他の記事でも書いた記憶があるが、電話というのは、かける側と受ける側双方が電話に出なければならない。

 

 これ、一発でうまくいく可能性はかなり低い。というか私自身スマホは常時サイレントにしているので電話に気づかないし、電話に出られない環境にいたら無理に出ないことにしている

 

 電話で情報を伝えようとすると必ず時間のロスが出てしまう。

 

 結果たかだか事務連絡を知るのに1日かかった、みたいな滑稽な事態が生じる。

 

 「社会人として電話に出ることはマナー」という非効率極まりない不合理な常識は、とっととぶち壊すべきである

 

 

 「電話でなければ感情が伝わらない」、これはもう老害という名の論外

 

名刺交換

 連絡先の情報なんてメールかラインかメッセンジャーで十分だ

 

 それなのになぜ社会人というのは名刺交換という行為にやたらこだわるのだろう。

 

 名刺交換をするあの時間があまりにもムダである。100歩譲って名刺交換するだけならまだしも、渡し方とか受け取り方とかがあるのでこれもまた滑稽であり愚の骨頂である

 

 名刺交換とかあんなのトレーディングカードと同じである。遊戯王カードを友達と交換するレベルとたいして変わらない。そういうことを真面目にしだすのだからもう救いようがない。

 

 かくして名刺交換というトレーディングカードゲームをすることによってムダな時間を浪費することになる。

 

 結局名刺にこだわるというのは、相手の職業とか地位とかくだらないことを気にしていることの証左だろう。

 

 

メールの書き方

 「いつもお世話になっております」

 

 もうこれだけで14文字+「」の2文字をムダにしている。この16文字のどうでもいい情報を読むことによって重要な情報を読む時間がロスしてしまう

 

 もちろん普通は「いつもお世話になっております」以外にも余計な情報が入るのでロスする時間がもっとあるのだが。

 

 それにメールの書き方みたいなものがある。最初は名前と会社名、そして「お世話になっております」など。

 

 名前と会社名を付けるのは当然だが、それ以外に必要なのは「どのような要件か?」という情報だけだ。

 

 なので「会社名自分の名前、要件(先日の○○どうなりましたか)」の情報があれば十分だしこっちもすぐに理解できる。

 

 どうでもいい文字情報を増やして重要な情報を読む時間がロスするようなことはあってはならない。

 

 「そんな非常識なことは許せない!」と怒るのはもうムリゲー。その常識によって日本の労働環境が非効率なのである

 

尊敬語と謙譲語

 言葉に尊敬語と謙譲語があるのは日本特有である。英語でもwouldやcouldを使ったりして丁寧な言い方にする表現があるが、話している人の身分を上と下に分けるのは日本語だけと言ってもよい。私が知らないだけかもしれないが。

 

 この尊敬語と謙譲語、ビジネスをするうえでは非効率極まりない。

 

 メールや実際の会話においても重要なのは、迅速に相手に情報を伝えることである。話す相手によって尊敬語か?謙譲語か?なんていちいち考えていたら、それに気を取られ情報を伝えられなくなってしまう。

 

 メールなどでもそうである。「相手が上司や取引先の人だからこの言葉の尊敬語はなんだろう。謙譲語はなんだっけ?」みたいなことをいちいち考えていたらそれだけで時間のロスである。

 

 情報は適切に間違いなく伝わり、そこに失礼がなければなんら問題はない。言ってしまえば「です・ます」の丁寧語をつけるだけで十分である

 

 これを「最近のワカモンは尊敬語や謙譲語もわからんのか」と言っている人がいれば、それはその人が情報の本質をわかっていないことになる。

 

 それに尊敬語や謙譲語のような身分を規定するような言葉があるから暴力やパワハラ、セクハラがなくならないのではないか

 

 人間というのは皆平等である。それは社会においても同じだ。それなのになぜ身分を規定したがるのだろうか。

 

 身分に上下関係ができることによりあほなやつは勘違いをする。

 

 「あいつは俺よりも身分が下だ。だから俺はそいつに何をしてもよい」、「あの人は俺よりも身分が上だ。だからソンタクをすれば自分の株があがる」のように。

 

 それが連綿と続いた結果が今の日本である。何も思考せずに「社会人として尊敬語や謙譲語が使えるのは当然だ」と思っていると、あなたも知らず知らずのうちに相手を身分に応じて差別する習慣ができているかもしれない

 

飲み会の意味不明なルール

 上座下座(は飲み会に限ったことではないが)、お酌、グラスのラベルが付いている方を上司に向ける、酒を注いでもらったらとりあえずグラスに口をつけておく、もう全てが意味不明である

 

 たかだか飲み会なのになぜこんなことをいちいち気にしなければならないのか。こんなくだらない常識やマナーがあるから飲み会に行きたがらない人がいるのではないか。

 

 こういう全く意味のないルールによって私たちは貴重な時間をはく奪され、何の役にも立たない習慣を確立してしまう。

 

 ビジネスでの人間関係はドライでなければならない。それなのに全く仕事とは関係のないことを覚えさせられ、意味不明なしきたりがある飲み会に付き合わされ、それでいて給料が税金でもっていかれ、搾取されることになる。

 

 結局のところ仕事とは何の関係もない不合理が私たちの生活、ひいては人生を脅かし非効率で不合理な労働環境を生み出す。

 

 

 どんなにテクノロジーが発展して人間の仕事を「奪える」ような状況になっても、旧態依然の古びた常識がそれを妨げるのである

 

 だとしたら今私たちがやらなければならないことは合理性のない常識や「社会人のマナー」の在り方を疑い、それらをぶち壊すことだろう。

 

 そうすることによってはじめて日本の労働環境は変わるのだ。