ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

不祥事を起こすのに学力は関係ない

 最近慶應や東大の一部(というより特定の学生)の学生が女性の問題で捕まっている。彼らの類似点は偏差値の高い大学、イケメン、金持ちといったところか。

 

 しかし大部分の東大や慶應の学生は真面目に勉強をしていることを忘れてはいけない。そもそもどこの大学であれ問題を起こす学生は一定数いるのだ。

 

 それにも関わらずごく一部の学生の問題行動でその大学全体の印象が悪くなってしまうのはなかなか難しい問題であるが。

 

 が、偏差値の高い、低いに関係なく問題を起こす学生はいるのである。

 

 

 

勉強ができることと性格の良し悪しは関係ない

 勉強ができる人=良い人であるとは限らない、というのは誰でも知っていることであろう。一方勉強ができる人=悪い人とも限らない。

 

 誰でもそれはわかってはいるが、どうしても私たちは無意識の内になんらかの偏見を抱いてしまう。オウム真理教の事件を知っている人、あるいは事件に巻き込まれた人ならばもしかしたら勉強ができる人に少しばから悪い印象を持ってしまっているかもしれない。

 

 スーフリ事件を知っている人もいわゆる偏差値の高い大学の学生にある種の偏見を持っているかもしれない。

 

 事件を起こしているのはほんの一握りの人間にも関わらず、インパクトが強いゆえに大学全体のイメージの悪化になってしまう。

 

 だが、忘れちゃいけない。大部分の学生は真面目であり、しっかりと勉学に励んでいるのだ。ゆえに勉強ができることと性格の良し悪しは関係がないのである

 

 

 もし頭の良い人が全員悪い性格で極めて利己的で人を貶めようとするなら、それはこの国の社会システムが問題である。逆に全てが全て「善良な市民」であることもありえないのだ。それはそれで以上である。

 

 いくら偏差値の高い大学であっても良い人もいれば悪い人もいるのである。根本的なことを言うと社会なんてそんなものだ。

 

受験制度の限界

 「筆記試験重視だからこのようなイビツな学生が合格してしまうんだ!だから受験制度にも問題がある!」と主張する人が一定数いる。確かに筆記試験オンリーの入試では(といっても医学部とか推薦は面接があるが)、その人の性格や人間性まではわからない。

 

 一般的に性格や人間性を知るのに参考になるのは面接試験である、と考える人は多いと思う。確かに直接会話をすることでなんとなく受験生の性格や人間性はわかったように錯覚する。

 

 

 だが受験生全てに面接を課すのは現実的ではないだろう。膨大なコストがかかるし、そんなことしてたらスケジュールを調整するのが大変だ。したがってコストやスケジュールの困難性から面接を実現させるのは難しい。

 

 で、錯覚を赤にしたが、たがだが数十分の面接で受験生の人間性や性格なんてぶっちゃけわからないだろう。第一20年そこらしか生きていない受験生を数十分の面接で判断するのはナンセンスである。

 

 というか試験という性質情上、「対策」というものが出てきてしまい、みんな似たり寄ったりなことしか言わなくなるのが目に見えている。そんな状態だったら結局「正直者がバカを見る」ようなことになる。

 

 そう考えると面接を導入したらコミュ力が高くて要領のいい受験生が合格することになるから、人間性を伴っていて性格の良い受験生が入るとは限らなくなる。

 

 それゆえ筆記試験に問題があるからといって、面接を導入したところで根本的な問題解決にはならないのだ。

 

 ということで受験制度という観点から見ても、問題を起こすような人を排除することは困難なのである。

 

家庭の経済力は影響するか

 事件を起こした学生は2人とも裕福な家庭であったという。だが、それを根拠に即座に裕福な家庭の子は問題を起こすと考えるのは極めて浅はかである。

 

 考えられるパターンは2種類ある。

 

 1.家が裕福でその恩恵で苦労をせずドラ息子になるパターン

 

 2.親がしっかりしていて子供と向き合い、善良な子供に育つパターン

 

 事件を起こした学生がどちらなのか判断することは当事者ではないのでできない。だが家族関係に何らかの問題があったことは推測できる。

 

 

 憶測でモノを言うのは良くないが考えるに、経済力はあるので教育にはガッツリ投資できる、それで子供の成績が上がる、で、子供も浮かれる、それを親がある程度甘く見る、そうした環境によって、「勉強ができれば全て許される」みたいな考えが醸成されていったのではないか。

 

 そのような性格でイケメンともなればもう怖いものなしである。私はイケメンではないのでわからないが、少なくとも自分が親に甘やかされ、それで勉強ができ、イケメンであるなら、傲慢になっていただろうと思う。

 

 不幸にも事件を起こす条件がそろってしまったんだな。

 

 家庭が裕福でも貧しくても、子供が勉強ができてもできなくても、家庭の躾というのは本当に重要なんだなと感じずにはいられない。

 

 ということは不祥事を起こすか起こさないかは大学の偏差値の高低ではなく、家庭環境にかかっているということである

 

 今回の学生の事件で明らかになったのは家庭環境の問題である。現在はなかなか子供と関わる時間を設けられないゆえ、悩む親も多いだろう。しかし最低限の躾を施さなければ子供は将来「暴走」してしまうのである。

 

 教育のため塾や予備校に金を使うのは悪いことではないが、家族である以上、子供から目を背けてはいけないのだ。