ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

人生100年生きて一億総活躍することが幸せなのか

 アクセス数が伸びる→テンションが上がる→サボるという私の悪い癖が出てしまっている。

 

 今実家でブログを書いているんだが、もう自然が美しすぎだね。こんなところでブログなんて書く気が失せてまうね。ブログを書くのはコンクリートジャングルの東京がいい!

 

 ということで(!?)、どうやら現在は「人生100年」時代であり、「一億総活躍」しなければいけないらしい。

 

 なんとも生きずらい社会だ

 

 私のように骨の髄までニート体質がしみついている人間にとっては地獄である。寿命が来たらとっとと逝きたいし無理に延命治療して長生きしたくない。それに20代にして既に労働意欲が失せている(働いていた会社の労働環境により)。

 

 全ての人が人生100年生きたいとか社会で活躍したいだなんて思っていないのである。それなのに政治家というやつは…。

 

 

 

人生100年生き一億総活躍している社会を想像してみよう

 国民が人生100年生き、総活躍するとどのような社会になるのか。当然であるが見渡す限り高齢者である。

 

 客も高齢者ばかりだし、労働者も高齢者ばかりだ。そうなると商品のマーケティングは高齢者をターゲットとしたものばかりになり、なかなかつまらないものが店にならびまくるということになる。

 

 もうこの段階で地獄である。若者は少子化の影響で圧倒的に人口が少ないことを想定するとこのような事態は十分起こりえる話だ。

 

 スタバやドトールの店員が全員高齢者だったら客にとってもしんどいだろう。招き猫やビックエコーカラ館のフロントやドリンク・フードの運びがほとんど高齢者であったなら、気の毒でしかない。というかそんな状況でフリータイムとか無理ゲーだ。

 

 私はそんな社会が来てほしくない。人生100年一億総活躍するよりも、現在の少子高齢化をどうにかしなければいけないと思っている。

 

 確かに上記の例が極端かもしれない。だが、そのような極端な状況を想定しないと不測の事態に対応できない。決して起こらないとは言い切れないのだ。

 

 もちろん今の政治家は「大洪水よ、我亡き後に来たれ!」というスタンスなので労働者が高齢者であふれかえってもどうでもいいと思っているだろうが。

 

 

100年生きて幸せなのか

 おそらく医療技術の進歩で今よりも平均寿命は伸びるだろう。不慮の事故や治療不可能な病気でもない限り100年生きることは可能になると思う。

 

 が、生きていれば楽しいことだけでなく、辛いこともある。寿命が伸びるということは辛いことをする年数も伸びるということになる。中には人生死ぬまでハッピーな人もいるだろうが、大部分の人はそうでないだろう。

 

 それに若者の負担が重くなる。100年生きる人のために多額の年金などを支払わなければいけなくなる。こういう経済的負担の問題が大きくなればますます若者と高齢者の関係は悪化していく。

 

 ゆえに100年人生生きたところで良いことはあまりないのだ。というかたいして生きたいという欲望もないのに無理して延命治療して長く生きれたところでその人のクオリティオブライフは伸びない。

 

 

 というか今、世界的にみると人口はめちゃくちゃ多い。その影響で食糧などが十分に行き渡らず、命を落としているというのは発展途上国ではよくある話だ。日本はそれほど生きる環境は悪いわけではないが、人口が増えることで必ず何かしらの問題が生じる可能性は高いのだ。

 

年をとってまであくせく働き続けたいか

 そもそも年をとってまで働きつづけたいか。私は嫌だ。とういかもう現時点であくせく働きたくない(それは私の忍耐力のなさやドラ息子っぷりが原因であるが)。

 

 政府は働き方改革と声高に叫んでいるが、一向に改革は進まない。恩恵を受けているのは一部の大企業だけである。

 

 こんな状態で60歳になっても70歳になっても会社勤めであくせく働かされるとか拷問以外の何物でもない

 

 考えなければならないことは、どうしたら働かなくとも生きていけるかということなのに、どうしたら国民をあくせく働かせるかということをこの国の為政者は考えているのだから救いようがないだろう。

 

 そもそもこれ以上経済成長は望めないのにどうしてやたらと働かせることを考えるのだろう。今までの働き方が通用しなくなっているのになぜ改革しないのだろうか。

 

寿命を全うし総活躍しなくてもいい社会作りを

 これからの時代、重要なのは無理やり寿命を延ばし、イヤイヤ生きることではなく、寿命を全うし、自分にとって満足な人生を送ることである。

 

 それに加えて、国民が総活躍しなくてもいい社会を作ることだ。そりゃそうだろう。経済がもう成長しないのにわざわざ国民が総活躍したところでたいした意味はない。

 

 そのためには再三主張しているが多様な生き方を認めることだ。会社や公務員という二者択一の選択肢ではなく、それ以外の人生の選択肢を認めるべきなのだ。別にニートだろうが引きこもりだろうが、生きていければ問題ないのである。

 

 一億総活躍させるのではなく、そのようなニートや引きこもりの人たちがどのようにしたら生活していけるのかを考えることの方が重要ではないのか。

 

 もう「お国のため」に働く時代は終わったのだ。これからは個人個人がどうしたら幸せに生きることができるのかを考えなければならない時代である。

 

 総活躍ではなく個人が幸せになることを考えていく必要がある。