ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

日本人が英語を話せないのは「学校教育のせい」なのか

 学校で英語を教える教員は大変である。日々生徒のことを考え、彼ら彼女たちがどうしたら英語ができるようになるのか必死で考えて授業をしている。

 

 それなのに文科省からは「英語ができないのは学校教育のせいなんだ!」とお叱りを受ける。教員の方たちはその批判を受け止め、日々授業をしなければならない。

 

 ではその文科省はどうなのかというと、「日本人は英語ができない→学校教育のせい→だから試験のシステムを変えちゃえ!」と論理的に破たんした発想をしている。

 

 では本題に戻ろう。日本人が英語を話せないのは「学校教育のせい」なのか。

 

 

 

結論

 結論から言おう。日本人が英語を話せないのは「学校教育のせい」ではない。日本人が英語を話せないのは、明確な動機づけがないからである

 

 明確な動機づけがないとはなにか。それは英語を話せることによってどんなメリットや嬉しいことがあるのかが、はっきりわからないことである。

 

 いや、一応英語を話せてどんなメリットがあるか、頭ではわかっている人が多いはずだ。「世界の人とコミュニケーションが取れる」(もちろん相手も使用言語が英語だったらの話)、「それによって視野が広がる」、みたいなことをみんなわかってはいる。

 

 だが、日本という国において、そのような経験を実際にする機会は少ない。それゆえ英語を話すことによるメリットがあるのはわかっていはいるが、なかなかモチベーションがわかないのである。

 

 

 そうなるとどうやって英語に対してのモチベーションを高めるかというと、結局試験や資格という「点取りゲーム」によって高めるしかなくなるのである。

 

 確かにそれで気分は良くなるかもしれないが、それは一時的なものでしかない。特に試験なんて学校を卒業したらやらない。

 

誰かが何かのせいにする限り問題は解決しない

 自分の身に何か問題が生じた時、「あいつが悪い!!」、「この環境が悪い!!だからボクはできないんだ!!」という発想をする人は永久に問題を解決することができない。駄々をこねる子どもを想像すればよい。

 

  しかし日本ではこのようなことを立派な大人が言っているのだ。つまり、「日本人が英語を話せない」理由を「学校教育のせい」にしている。そして文科省が「じゃあ試験のシステムを変えちゃえ!」と無邪気で乱暴な発想をする。

 

 

 こんなことをされる結果、被害者となるのは学校の教師や生徒たちである。彼らの無邪気で乱暴なわがままの結果、カリキュラムは変えなければならないし、試験の対策もいちいち考え直さなければならない。

 

 ある問題を誰かのせいにしたり、環境のせいにしたところでその問題は解決しないし、被害者を生むだけである。

 

 他人のせい・環境のせいにすることはあまりに愚かであるが、それが当たり前すぎるゆえに私たちはその重要な点を見落としてしまっている。

 

 日本では、立派な大人たちが他人のせい・環境のせいにしているのである。これこそが実は最大の問題であったりする。「日本人は英語話せない論」は日本の立派な大人たちの愚かさを露わにするのだ。

 

英語を話せないから試験を変えるという発想は論理的に破綻している

 「日本人は英語を話せない」という問題が生じている場合、どうすれば良いのか。

 

 やるべきことは問題の原因を分析することだ。英語を勉強することのモチベーションがわかないという生徒がいたら、どうすればモチベーションを上げさせるかを考える。

 

 アウトプットの量が足りないなら、どうすればアウトプットを増やすことができるかを考える。文法や長文読解が多くてスピーキングの機会が少ないならその機会を増やす。

 

 こういう地道な作業を行なっていけば、全ての人が英語を話せるわけではないにせよ、問題はかなり改善するのだ。

 

 それなのに「英語の試験を変える」という発想はあまりにもお役人的発想である。「英語を話せない、だから試験を変える」結果、英語が話せるようになるなら問題はとっくに解決しているはずである。

 

 センター試験にリスニングを導入して、日本人の英語を聞く力は向上しただろうか。相変わらずであり(一部の優秀な学校は良くなったかもしれないが)、単に本屋にリスニングに関する書籍が増えただけだ。

 

 で、肝心のセンター試験のリスニングはどうかというと、相も変わらず平均点は5~6割である。

 

 というか根本的なことを言うと、これ、大学に進学しない人にとっては全く関係のない話だ。大学に進学する人もいれば、進学しない人もいる。

 

 

 それにも関わらず「入試をいじくって日本人の英語力を向上させる」という考えはあまりにも傲慢極まりない。これでは格差を拡大させるだけである。

 

なぜ「試験のシステムを変えちゃえ!」という無邪気で乱暴な発想ができるのか

 理由はいたってシンプルである。実際に教育現場で働いてないからだ。だから学校でどのようなことが起こっているのかわからない。

 

 生徒が英語に対してどのような問題を抱えているのかがわからないであろうし、教師がどれだけ悩んでいるのかわからない。

 

 学校に混在する問題を自分の目で見ることがないから、あほな考えを平気ですることができる。

 

 そういう実地経験のない人たちが中心となり、机上で議論すると「机上の空論」が生まれる、というのは誰でもわかることだ

 

 かくして彼らは教育現場をますます混乱させることになる。

 

 「会議は踊る、されど進まない」だけならまだいいが、結果問題をまき散らしてそれを収拾しないのだから困ったものだ。

 

 お役人が日本人が英語を話せないことに不満があり、学校教育のせいだと思うなら、自分が学校の教師なり、塾や予備校の講師になればいいだけの話である。

 

 それで日本人の英語力を伸ばしていけばいい。

 

 ただそれは面倒だし、官僚という超絶エリートの地位を捨てるのが嫌だからそうしないのだろう。いつまでも観客席からヤジを飛ばしていたほうがラクである。

 

英語を話せるようになりたければ自分でモチベーションとなるものを見つけるべき

 結論部分と重複するがそれが一番ベストである。私自身英語がそこそこ話せて良いと思ったことは(一応英検2級持っているので。あとはマーチの英語系の学部を出ているので)、やはり外国人と意思疎通できたことである。

 

 バイトで接客業をしていて、比較的外国人の従業員(圧倒的にスリランカ人が多い)が多い環境だったので、英語を話すことによって結構コミュニケーションを取れた。

 

 そういうことができたのは英語を勉強していて良かったと思えた。

 

 したがって自分で何かしら英語を勉強することによるメリットを探すことが、英語を習得することの最善の道である。

 

 今はSNSなどが発達しているので、ツイッターとかで自分の意見を英語で発信したりすると外国人とかにフォローされるかもしれない。

 

 単に試験の点数などを目標にしても味気ないだけである。確かにそれはそれで有益ではあるんだが。

 

 本屋に行けば優良な英語の参考書はたくさんあるので、独学で英語を勉強をすることも可能なはずだ。またスマホのアプリでも英語を気軽に勉強することはできるので学習する環境は整っている。

 

 お役人たちが言う「日本人は英語できない論」になんて耳を傾けなくいい。彼らの言うことは所詮机上の空論であり、私たちが得をするようにはなっていないのだから。

 

 

 見栄やプライドの鎖に繋がれたつまらない大人は置いて行け!