ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

各国の入試制度と日本の入試制度の比較からわかること

 

 以前ツイッターで話題にした。どうやら、入試の審査基準が曖昧で訴訟問題が発生しているらしい。さすが訴訟社会アメリカ。

 

 そもそも一切批判の余地がない理想的な入試制度などあるのだろうか。

 

 そういう入試制度を作ることは難しいだろう。一見理想と思われる入試制度も必ず何かしら欠陥が存在するものである。

 

 今回はアメリカ、中国、韓国の入試制度と日本の入試制度を比較してわかることを書いていく。

 

 最初は話題になっているハーバード大学の入試で問題になっているアメリカ。

 

 

 

アメリカの入試制度とその問題点

 アメリカの大学の入学試験が「ブラックボックス」と言われるのは、その選考プロセスにあると考えられる。

 

 そもそもアメリカの大学の入学試験はどのような選考プロセスを踏むのだろうか。まずはそれを知っておこう。

 

 1.GPA:これは高校時代の内申書である。大学生とかはGPAと聞かれてピンとくるのではないか。アメリカの入学試験においては高校時代の成績表が必要となる。だから学校のテストを手抜きすることはできない。日本では学校の成績がだめだめでも試験本番で合格点をとればよい。ここが日本と異なる点だ。

 

 2.SAT:SATとはアメリカの大学進学を希望する者に対して課す試験である。日本でいうセンター試験といったところか。ただ、日本のセンター試験と異なり、年に7回実施される。この7回の中でのハイスコアを大学側に提出するようである。

 

 3.履歴書:スポーツや課外活動などの実績を示したもの。

 

 4.エッセイ:自己PR。

 

 5.推薦状:学校の先生やクラブコーチのお墨付きみたいなもの。

 

 6.面接:その通り面接。

 

 アメリカの入学試験は以上のような選考プロセスを踏む。日本の大学の推薦やAOが激しくなった感じかな。

 

 さらに日本と異なり、浪人をして再受験というシステムもない。なんでもし社会人とか他の大学から移りたいと考えた場合、編入をして入ることになる。

 

 では本題に戻ろう。なぜアメリカの大学の入学試験は「ブラックボックス」と言われているのか。

 

 それは入学試験の審査基準が曖昧であるからである。そしてその姿勢を頑なに守り続けているからだ。

 

 「なぜ、不合格だったのか」という質問が出たとしたら、「それはご縁もありまして…」とはぐらかしているのがアメリカの大学なのだ。具体的な合格基準を明示しないのである。

 

 

 ルールの明確化とフェアプレーを重視するアメリカ社会において、そのような姿勢を示すのはあってはいけないことなのだ。

 

 人種も人生のバックグラウンドも様々なアメリカ社会で、不公平なシステムはあってはいけない。「多様な人種を受け入れる」と言いながら、アフリカ系アメリカ人やラテン系アメリカ人を「多様性」の名のもとに、ひいきし、アジア人の門戸を開放しないのはあってはいけない。

 

 そのような曖昧性ゆえ、アメリカ社会では大きな問題になっているのだ。

 

 ただそうなってしまうのも当然と言えば当然なのだ。上の6つの入学試験における選考プロセスにおいて客観的な指標を持つのはSATしかない。

 

 GPAも客観的な指標となると主張する人もいるかもしれないが、高校のレベル自体が様々だから、あまり意味がない。

 

 具体的に述べよう。日本の高校に置き換えて考えればわかりやすい。例えば偏差値70の高校の評定平均が4なのと偏差値が50の高校の評定平均が4では「重み」が違う。

 

 明らかに前者の方が「重み」があるのは言うまでもない。

 

 そういう風に高校のレベルによって成績の価値が異なることから、GPAはあまり客観的な指標を持たない。

 

 それ以外の面接や履歴書は客観的な性質を持たない。審査する側の恣意的な判断となる。

 

 そう考えると、アメリカの入学試験自体が客観性を有する要素がほぼないので、曖昧になってしまうのは避けられない。

 

 しかし、視点を変えてみると、人種やバックグラウンドが多様であるがゆえに、このような試験にせざるをえない、ということも言えないわけではない。

 

 仮に筆記試験を主流とした入試にして、ほぼ100%客観性をもった試験にしたとしよう。そうなってしまったら多様性は今ほどなくなるだろう。

 

 筆記試験で合格できるなら、明らかに情報強者が「勝ち組」となってしまう。

 

 日本の受験を考えてみればわかるだろう。

 

 筆記試験なんてだいたいがマニュアル化されている。要は「何を覚えなければいけないのか」、「どこを中心に覚えなければいけないのか」、「どの程度まで論述できればいいのか」というのがわかっている。

 

 そのような情報を高い価格で提供する予備校などに金を出せば、最短距離で合格が可能になる。

 

 そうなると、富裕層が圧倒的に有利になる。

 

 それがアメリカで実現すれば、「ホームレスから成り上がった子」や「スラム街で育った子」が合格するようなアメリカンドリームは起きないのだ。

 

 ある意味、曖昧さというのが残っていることで、そのようなアメリカンドリームが起こせるのである。もちろんSATでハイスコアを取らなければいけないが。

 

 曖昧さゆえに多様性を実現させやすいのだ。

 

 したがって、アメリカの入学試験の持つ曖昧さに「善悪」をつけるのは困難なことがわかる。

 

中国の入試制度とその問題点

 なぜ中国なのかというと日本と同じ東アジア文化圏であり、その入試の苛烈さが日本でもしばしば話題になるからである。

 

 次章で述べる韓国も同様である。

 

 中国の入試は全国普通高等学校招生入学考試、通称「高考」と呼ばれるものがある。

 

 受験生は毎年1000万人前後、2017年は940万人であった。日本と比べると(人口比が違うので何とも言えないが)、その受験生はかなり多いことがわかる。

 

 日本のセンター試験の受験生は50~60万人であることを考えればその競争率はもう尋常ではない。

 

 しかも学歴の高さがそのまま社会的地位にダイレクトに影響するので、中国人は子供のころからそれはもう死ぬ気で勉強をすることになる。

 

 日本の受験競争も確かに激しいが、中国と比較すると甘いレベルであることはわかるだろう。

 

 筆記試験という努力が確実に報われる面はあるが、それが社会的地位にそのままつながるというのは残酷な現実である。

 

 日本では志望校に不合格で第二、第三志望校に進学したとしても、よほど卑屈にならなければ、人生において取返しがつく。学歴フィルターなるものがあるが。

 

 

 志望校に対して諦めがつかなければ浪人して再チャレンジもすることができる。中国では浪人する人自体ほとんどいないため、浪人は選択肢には入らない。

 

 実質一発勝負である。

 

 要は良くも悪くも筆記試験が人生を左右するのだ。

 

 しかしこのことによる弊害もある。

 

 教育的な面からすれば、親から「勉強し試験に合格しさえすればよい」みたいな今日環境で育てられるので、傲慢な人格が形成されやすい。

 

 勉強さえできれば多少はわがまま言っても、かまわないという姿勢である。

 

 日本でもこういう親は一定数いるが。

 

 一方子供は試験に合格しなければならないプレッシャーから、精神的な悪影響を受ける。というか、純粋に好きで興味があり、関心があるとう目的で勉強することができない。

 

 完全に試験のための勉強、人生における社会的地位のための勉強という極めて「合理的」な勉強を強いられる。

 

 その他にも格差社会という問題もある。都市部と地方の問題である。これが結構厄介だ。

 

 中国の大学は地元出身者を優先して入学させるシステムになっている。北京大学なら北京の受験生を優先させて入学させる例を考えればわかりやすい。

 

 そうなるとそれ以外の地域の人、さらに有益な情報が入ってこない農村部はかなりの不利益を被ることになる。

 

 結局経済的な問題が厳然と存在するのである。

 

 つまり客観性をもった筆記試験を実施しているのにも関わらず、努力が報われるとは限らないという歪な事態が起きているのだ。

 

 しかも近年中国の富裕層は自分の子供を海外の大学に留学させる傾向がある。

 

 めざましい経済発展が起きている一方で、このような深刻な社会問題が生じている。

 

 教育に熱を入れることは良いことだが、それが経済的問題によって格差が出たり、過剰になってしまっては、やがて国民の不満が爆発するのも時間の問題だろう。

 

 というかもう不満は爆発しているのか。

 

 中国の入試において言えるのは、入試の成果がそのまま社会的地位につながるので、あまりに過剰になっているということだ。また、大学が出身地によって差別をするので、地方に住む人はもろにその被害をくらうことになる。

 

韓国の受験制度とその問題点

 韓国は「大学修学能力試験」、通称「修能(スヌン)」という試験が行われる。日本のセンター試験と似たようなものだ。

 

 その「修能」に加え、各大学で実施する小論文や面接で合否が決まる。

 

 ただ、ほとんど「修能」で合否が決まるようである。

 

 韓国の中国同様出身大学でほとんど将来の社会的地位が決まってしまう。

 

 ゆえに韓国もまた受験競争は苛烈である。日本人の大学進学率が5割強なのに対し、韓国は8割強なので、学歴がどれほど重要なのかがわかるだろう。

 

 このような社会的背景もあるので、韓国は国をもって受験生をバックアップする。

 

 もし試験に遅れそうな受験生がいれば、パトカーや白バイがその受験生を乗せ、試験会場まで乗せていってくれる。

 

 これは日本のニュースでもしばしば話題になるので知っている人も多いだろう。

 

 ちなみに日本では北海道で電車が止まって試験会場まで行けない受験生を助けてあげたニュースがあった。

 

 若干話がそれたが、韓国は国をもって受験生をバックアップしていることがわかる。

 

 そう考えると、中国のように地元出身者をひいきするみたいな制度はないので、割合印象は悪くない。

 

 だが、それでも受験競争が過激になりすぎていること、それがそのまま社会的地位につながってしまうことを考えると社会的な閉塞感が生じるのは否めないように思える。

 

中国・韓国の入試から言えること

 日本と比較した場合、受験で合格するということがどれほど重要なものかがわかる。

 

 ある程度やり直しがきく日本と違い、就職において露骨に影響が出るし、あまり良い言葉ではないが、はっきり勝ち組、負け組に分断されてしまう。

 

 そのような社会状況を考えると、国内で不満が生じるのも無理はない。

 

 また、個人のもつ資質、能力よりも学歴という画一的な価値観でしかその人を評価しないという点で、多様性も認められていない。

 

 経済的な格差も学歴に影響を及ぼすので、それは日本と似たような面がある。

 

 それ以上に浪人という選択肢がほぼないというのが、ある意味ではつらいところだろう。

 

 

 浪人については様々な意見があるが、特に昨今では浪人に対して否定的な見方もあるが、もう一度リベンジできるという点で、有益な選択肢であると思う。

 

 それがほぼないとなれば、試験一発勝負に対し、過度なプレッシャーがかかり人生において悪影響を及ぼすのではないかと感じた。

 

 まあ受験生の数自体が日本と比べものにならないことから、再受験とかやる気が失せるだろう。

 

 とにかく、いくら客観的、公平な試験を実施したとしても経済的な面で学歴の格差が生じるのはどこも同じであることがわかる。

 

日本の大学入試のシステム

 では原点回帰で日本の大学入試のシステムを見てみよう。といっても2020年から大幅に試験の概要が変わってしまうらしいが。

 

 ここで述べるのは2018年8月19日現在の入試のシステムである。

 

 一般入試:現在は主流の入試制度である。センター試験国公立大学の二次試験、私立大学の学部(大学によっては学科別)の独自試験がある。これらの入試制度すべてにおいて、学校の評定平均や部活、課外活動の実績は必要ない。100%学力の入試である。

 

 センター試験はほとんどの国公立大学が受験生に課す試験である。毎年1月という交通機関が乱れやすい時期に行われる。特に首都圏で交通機関がまひしたら大変なことになる。ちょっと雪が降ったぐらいで電車の運転見合わせが起こるので受験生は注意。

 

 というか日ごろから遅延しまくってるからわかっていると思うが。

 

 全問マーク式で試験科目は超ざっくりいうと国語(現代文・古文・漢文)数学(IAⅡB)、外国語(英語の他、中国語とかドイツ語とかあるがほとんどの受験生は英語選択)、理科(物理とか生物とか化学とか地学)、地歴(日本史とか世界史とか地理)、公民(倫理とか政経とか)である。

 

 レベルは高等学校の教科書レベル(といってもその教科書のレベルにも差があるんだけど)である。まあ一般的な進学校で扱う授業のレベルだと思ってくれればよい。

 

 スタンダードなレベルだと言われているが、対策しなければ点数はとれないし、そもそも高校の勉強のレベル自体が高いので、土台を築くのにも時間がかかる受験科目も多い。

 

 なので早い時期から対策が必要になってくる。

 

 国公立の二次試験は主に論述形式である。記号問題もあるが。難易度は大学によってばらつきがあるが、試験の形式から、高いことは言うまでもない。論述なので、独学だけでは難しい。試験科目は国語(だいたい現代文、古文、漢文)、数学(IAⅡB)、英語。文系なら数学か歴史(文学部とかがどっちか選べというところが多い)の選択になる。理系はこれらに物理とか生物とか化学が加わる。大学によっては小論文を課しているところもある。

 

  私立大学の学部学科試験の形式はだいたいマークセンス方式である。何問かは記述があるが。そもそも受験生の数がものすごく多いので、記述にして採点していたら受験生の合格発表の日までに終わらないだろう。

 

 しかし、それでも記述主体の私立の大学はある。慶応義塾大学の文学部。試験時間2時間、英語の辞書2冊まで持ち込みOK。英文和訳の問題が何問かと最後が確か英作文だった気が。

 

 同じく慶應の経済学部もかなりハードな英作文があった。しかも世界史も論述主体。

 

 あとは早稲田大学政経学部とか法学部とかで英作文があったような。

 

 上智大学は確かほぼマークだった記憶がある。

 

 なのでマークセンスの試験が主でありながら早慶などでは記述系の問題を出してくる。私大の入試問題はけっこうクセが強いと受験生の頃、私は感じた。

 

 てかなんで早慶上智の問題でこんなこまごまと知っているかというと、このブログの中の人がそのどれかの大学に玉砕したから。←隠しきれてないし。

 

 国公立の大学はセンター試験の点数と二次試験の点数で合否を決めるのが主流である。

 

 私立の大学は学部学科の独自の試験で合否を決める。それだけでなくセンター利用といって、センターの点数で合否を決めるシステムもある。合否に使われる科目は国語(漢文がないところが多い)、英語、地歴公民が主である。数学選択もあるが文系はおおむね国語、英語、地歴公民だろう。

 

 MARCHとか関関同立のセンター利用の合格ボーダーはだいたい85%といったところだろう。青学の国際政治経済とかは90%以上とかえげつない得点だった気が。

 

 慶應はセンター利用はなく(何年か前は法学部であったが廃止された)、上智もなかったと記憶している。

 

 早稲田は国公立型の受験科目でボーダー9割前後ぐらいだったと思う。まあこれは東大とか京大とか一橋志望の受験生が使うものだろう。

 

 以上が一般入試のざっくりした概要である。最近入試の制度が結構変わってきているので、もしかしたら古くなっている情報もあるかもしれないが、もしあったら申し訳ない。

 

 次は推薦系の入試の話に入ろう。

 

 公募制一般入試:これは各大学の出願条件を満たすことと自分の在学する高校の推薦状を得れば出願できる。

 

 出願条件は例えば評定平均4以上とかそういうのである。

 

 試験方式はざっくりいうと、面接や小論文である。

 

 重要になってくるのは学校の成績だろう。期末や中間テストで手を抜いたり、点数が低い科目があれば、命とりになるだろう。逆にコンスタントに手を抜かず、学校のテストに臨めるならこの推薦を使うのもありだろう。

 

 公募制特別入試:スポーツ推薦を考えたらわかりやすい。公募制推薦入試よりも評定平均の基準が緩いことが多い。重要になるのは部活動などの実績だ。

 

 野球部なら甲子園出場という実績があると大きなアドバンテージとなる。大学の野球部とかはこの入試で入ってる人が多いのではないか。

 

 指定校推薦:大学が特定の高校を指定し、実施する試験である。試験と言っても校内の選考が通れば、よほどDQNの輩ではない限りそのまま合格する。

 

 DQNが指定校使うかは置いといて

 

 ただ、枠がとても「狭き門」である。募集人数が1人とか2人なので、学校の成績も維持しつつ、部活も頑張り、教員から好かれなくてはいけない。

 

 AO入試:確か慶應SFCが日本の大学で先駆けて行なった。これは大学が求める受験生の理想像と合致しているかどうか、という試験である。試験は小論文や面接が主だが、大学側が大学の理念や理想に則った受験生を獲得しようとするため、かなり厳密に精査すると思われる。この入試は従来の推薦入試と異なり、学校の推薦を必要としない。なので自分でエントリーできる。

 

 あと近年仮面浪人とかで別の大学に移っちゃう人もいるので、それを抑制しようとする動きもあるのだろう。

 

 以上が日本の大学入試のざっくりした内容である。

 

日本の大学入試において言えること

 アメリカの入学試験(実は試験というより審査)と比較すると、筆記試験で合否が決まるという点でアメリカの入学審査よりも公平性が保たれている。

 

 家柄や出自に関係なく筆記試験の点数で合否が決まるので、たとえ家庭環境が良くなく、貧しかったとしても、難関の大学に合格することが可能である。そしてそのことによって人生が好転してゆく可能性を大いに秘めている。

 

 そう考えると日本の入試のほうがアメリカンドリームを体現しやすいのではないか。

 

 しかし、これは一般入試の話である。

 

 推薦や指定校、AOではその公平性は担保されない。なので、どうしても志望大に合格したいなら一般入試の対策もしておくべきだろう。

 

 一般的に推薦やAO入試には根強い批判がある。

 

 ・「一般入試で入らないのはけしからん!」

 

 という批判である。というかもうだいたいが上の批判だろう。

 

 確かに気持ちわかる。一般入試は膨大な時間を勉強に費やさねばならない。一方推薦とかは要領がよくコミュ力が高い人は短期の対策で受かってしまうこともないわけではない。

 

 しかし、しかしである。100%一般入試にしてしまうとそれはそれでバランスがなくなるのではないか。かなり歪になってしまうんじゃないか。

 

 既に述べたが、近年は仮面浪人で他大へ移ってしまう事例も増えている。というかこの記事書いている私がそうなんだけど笑笑。

 

 そういう状況を考慮したら、むしろ推薦やAO入試は必要だろう。退学しない学生をとるのは大学の立派な戦略である。

 

 私のように1回大学に入ったのに別の大学に行かれたら、たまったものではないだろう。

 

  なので要はバランスが大事なのだ。一般入試もいれば、推薦、AOもいるみたいな。

 

 

 そもそも推薦とかを根本的に否定してしまったら、大学付属の高校とか滅びるだろう。

 

 あとは学力の問題か。確かに一般入試で入った学生と比較するなら、相対的には劣っているかもしれない。

 

 まあ、というかそれはもう自己責任だろう。さすがにその辺の分はわきまえていると私は信じている。

 

 各国の入試の比較にもどろう。

 

 中国・韓国の入試と比較すると、この2国ほど受験による競争は過激ではなく、学歴が露骨に今後の人生に影響することもない。

 

 まあ学歴フィルターなるもので希望する会社に入れないということもあるが、日本の会社なんてだいたい労働環境がよろしくないので対して気にしなくてよい。

 

 そう考えると日本の入試はバランスが取れているように思える。

 

 それに何度も言及しているが、浪人という選択肢もある(今後の入試の改革でどうなっていくかはわからないが)。

 

 失敗してもまた来年リベンジできるのである。なので、失敗して挫折を経験することはあっても、それを挽回するチャンスがある。

 

 そのことによって傲慢にならずにすむ。といっても一定の割合でそういうクソがいるのは政治家や官僚の不祥事、企業の役員の謝罪会見をみればわかるのだが。

 

 だから私は常識を説く大人を信用できない。「大人は数字が好き」。

 

 若干話がそれたが、日本の受験制度は現段階においては健全であると思う。家柄や出自に左右されないし、過激なほどの受験戦争は起こっていないのだから。

 

 しかし、家庭の経済力が受験に及ぼす影響は大きい。これはアメリカ・中国・韓国と共通している。

 

 高い金をはたいて、受験のノウハウがしっかりしている塾や予備校に行けば、最短距離で合格することが可能だ。それが一般入試であれ、推薦であれ、AOであれ。もちろんそれも本人の努力次第だが。

 

 それでも日本では経済による教育格差を埋めようとする動きが活発である。

 

 スタディサプリがその例である。これを使って受験対策をしている高校生も多いのではないだろうか。

 

 これは安価な料金で優秀な講師の授業を見ることができる。しかもスマホやパソコンで見れるので、物理的な場所の制約を受けずに勉強をすることができる。

 

 スタディサプリが全国に普及することで、経済的な問題、都市部と地方の格差は解消されていくのではないか。

 

 少なくとも、筆記試験における学力格差は徐々に縮まるだろう。わざわざ高い料金のかかる予備校や塾に行くよりも、安価な価格で、場所の制約を受けずに勉強できる スタディサプリをとったほうが有益だろう。

 

 私が画期的だと思うのは、料金の安さはもちろんだが、それ以上に場所の制約を受けずに授業が聞ける点だと思う。

 

 これは従来の教育スタイルを根本から変えるものだと感じる。

 

 今までは、特定の日に特定の時間に集まって行われていた授業を日にち、時間を気にせず受講できるようになるということは、生徒のスケジュール管理が一層柔軟になる。

 

 なので、塾の時間とか気にせず、部活などに打ち込めるし、自分の好きなペースで進めることができる。

 

 学校でもこういう勉強スタイルが広まっていけば(たぶん無理だろうが)、生活自体が一層充実するのではないか。

 

2020年の大学入試問題

 これまでは他国の入試と比較しての日本の入試の良さや、スタディサプリのような教育が広まることの未来への可能性を書いてきた。

 

 が、懸念するべき事態がある。

 

 それが大学入試の抜本的な改革である。私もまだ詳しく知らないが(というかもう受験の当事者じゃないから、別に知らなくてもいいのだが)、いろいろごちゃごちゃ変わるみたいである。

 

 英語を民間の試験(TOEICとか)に委託したり、現行のセンター試験のようなものに記述をちょろっと加えたりいろいろするらしい。

 

 で、厄介なのが人物重視みたいなことを始めるみたいなことを聞いた。おそらく欧米の大学の入試のようにしたいのだろう。

 

 だが、一般入試にまでそんなものを持ち込んだら、それこそ客観性を保てなくなる。

 

 しかも浪人生はどうなるのだろうかという問題もある。

 

 明らかに浪人する人の数は激減すること必須だ。

 

 浪人生を正当化するわけではないが、そんな急激な改革を一気にやってしまって大丈夫なのだろうか。

 

 急激な改革は強烈な副作用を生むかもしれない。

 

 というか現行の入試システムに大きな欠陥があるようには思えない。いや、仮にあったとしても早稲田の政経学部のように将来数学を必須にするなり、受験科目を増やすなり、勉強の難易度を上げればいいだけなのではないか。

 

 わざわざ抜本的に変える必要はあるのだろうかと、別に受験の当事者ではない私は気にならずにはいられない。

 

 まあとにかく今の日本の入試のシステムは優れていると思う。

 


2020年の大学入試問題 (講談社現代新書)