ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

挑戦することによる現実の変化

 何事においても挑戦することは大事なことである。自分のできないことができるようになることは大きな自信となる。

 

 野球でもサッカーでも数学でもカラオケでも料理でも今までは困難で到底無理だと思っていたことが、日々の鍛錬によってできるようになる。

 

 これは本当に自信になるし、今後の人生において影響してくることは間違いない。

 

 ということで挑戦することのあれこれを書いていこう。

 

 

挑戦することの重要性

 最初にも述べたが物事に対してあらゆる挑戦をしていくことは非常に重要なことだ。できないことができるようになることは子供でも大人でも素直にうれしいと思う。

 

 できないことができるようになるということはそこに新たな、今まで見たことのない景色が広がる。

 

 野球なら(今甲子園真っ只中なので)、最初にまともにキャッチボールすらできなかったのが、相手にちゃんとしたボールがいくようになり、さらに上達しピッチャーを任される、ということは日々挑戦しつづけた結果だろう。

 

 数学の図形や証明や確率ができなかったのが、できるようになることもあきらめず挑戦した結果だろう。

 

 他にも例があるが、日々難しいことに挑戦し続けるとこのような恩恵が私たちにもたらされる。

 

 以上のような例から、私たちは挑戦し続けていく必要がある。

 

 挑戦とは人類が進歩していくために必要不可欠な行為なのだ。

 

 

 しかし私たちは日々の生活に追われたり、環境的な要因もあり、物事に対して挑戦する機会というのはあまりない。

 

 というか大人になるにつれて、挑戦することは少なくなっていく。

 

 悪しき流れである。

 

挑戦を妨げる原因

 私たちが挑戦することを困難にさせる原因は何なのか。

 

 それは日本の風土にあると思う。

 

 とりわけ日本では、いまだに人生におけるロールモデルというものが「存在」している。

 

 受験勉強→偏差値の高い学校→大企業あるいは公務員。

 

 これらが日本においては人生の成功例になる(といっても昔ほどではないが。というか、昔よりかは学歴の価値自体は相対的に低くなって生きているが)。

 

 ただ、受験勉強を通して偏差値の高い学校を目指すことは、悪いことではない。受験で成功するというのも挑戦することの一つだからだ。その成功体験をもとに今後も様々な成功体験を積み重ねていけば、その人にとってそれほど幸せなことはないだろう。

 

 もちろん、自分の学歴を鼻にかけ、人を見下したり、世の中をなめることは好ましいことではないが。それでもこのような人間は世のなかに一定数いる。

 

 しかし、進学校→有名大学→大企業あるいは公務員という人生に重きが置かれることは決していいことではない。

 

 大企業、公務員を目指すまでは挑戦の連続である。企業のデータを必死に集めたり、面接の対策をしたり(というかこの面接がワタシ、大嫌いなんやけど 笑)

 

 公務員であれば、試験勉強をしなければいけない。

 

 しかし、入った後はどうだろうか。自分の置かれている「安定」によっていろいろ動くことが面倒になっていないだろうか。

 

 

 確かに生活がかかっている以上、安定していることは大事だと思う。しかし、その恩恵に甘んじて挑戦していかないのは、自分の人生を色褪せることにつながりかねない。

 

 日々の慣れきったルーティンワーク、行き帰りの通勤、楽しみな土日、要は相変わらず変わらない生活に満足してよいのだろうか。

 

 何かしら、別に仕事ではなく自分の趣味とかを極めまくるとか、ネットでビジネスをしてみるとか、日常とは異なったアクションを起こしてみてはどうだろうか。

 

 今までは見えてなかった、異なる景色が見えてくるかもしれない。

 

 その新しいアクションによって、会社を辞めたがるようになるかもしれない。

 

 そういう人が一人でも増えれば日本はハッピーになっていくような気がする。

 

日本の教育もまた挑戦することを妨げる

 挑戦することを妨げる要因としてもう一つ考えられるのは、日本の教育にあると考える。

 

 一般的に日本の教育は「出る杭は打たれる」傾向にある。つまり「みんな同じであること」が要求される。

 

 もしかしたら、その被害にあった人もいるだろう。

 

 全体の中に「ちょっと違った」個性を持つ人は排除される傾向にある。また、全体と違う意見を主張したりすると、目を付けられる。

 

 みんなに足並みをそろえ、みんなと同じペースで進んでいかなければいけない。

 

 これほど息苦しいことはないだろう。

 

 とっとと自分のスピードで行きたい人にとってはこの上ない苦痛である。

 

 これで挑戦が妨げられることがわかっただろう。

 

 というか、これこそ日本の悪しき風習だと思う。

 

 一般的にみんなに合わせて進んで行くことが良いこととされている。日本では。

 

 しかし、そのような考えが支配的になれば、イノベーションは起きない。みんな周りの人に合わせている以上、それは当然だろう。

 

 イノベーションは自分のペースで突き抜けていかなければ、生まれないのである。

 

 そういう点からして、日本の教育は挑戦する人にとってはあまり良い環境ではないように思える。

 

 もちろん生徒の個性を大切にする学校もあるが、そういう学校は受験の名門であったりすることが多いので、入学することは難しい。

 

 となると、日本の教育はマイナス要素が多い。

 

挑戦するために必要なこと

 日本が挑戦を妨げる環境だからといって、諦めてはいけない。たとえ環境が悪くても自分でできることはある。

 

 挑戦するのに必要なこと、それは自分で選択するという主体的意思を持つこと。

 

 近年AIの台頭もあり、自分で選択する必要というのは薄れてきた。確かに自分で決めるよりもAIに任せた方が適切な判断を下してくれるという意見もある。

 

 しかし、そうやって受け身に姿勢になっていると、あなたは新しい人生を切り開くことはできない。

 

 AIが英語を全部翻訳してくれるからといって、英語を話さなくていい理由にはならない。

 

 そうやって受け身人間になっていると気付くと愚かな支配者に支配されているかもしれない。

 

 自分で判断することは難しいし、時に間違うこともあるだろう。しかし、それらの経験が生かされ、あなたは飛躍的に進歩していく可能性がある。

 

 自分で決めないで愚かな支配者に支配されるのと、自分自身で決断を下していく人生、あなたはどちらを選ぶか。

 

 

 もちろんそれは個人の自由だ。しかし、人類の進歩という観点から見ても、自分で主体的に決断をしていくほうがよい。

 

 もし、自分で選ばなければ、新しい世界は広がっていかない。

 

 ・「別にこれでいいや、みんなと同じやし」

 ・「別にできなくても、誰かがやってくれるし」

 

 と考える人も確かにいるだろう。しかし自分で決断しなかったという後悔が後になって感じる可能性がある。

 

 ・「あのとき自分で決めておけばよかった」

 

 こんな後悔をしないためにも自分で決めていくことは重要だ。

 

 自分で何かを求めようとすれば、「神の見えざる手」がそれを提供してくれるのである。

 

 まさに「求めよ、されば与えられんである」。

 

 常に挑戦をしていこう。

 

 今日は文字数が少ないけど。笑

 

 毎回10000文字とか5000文字とか書こうとすると更新頻度さがるわ 笑。

 


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