ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

「良い頑張る」と「悪い頑張る」

 私たちは人生においていろいろと頑張っている。

 

 受験や資格取得に頑張っている人や部活を頑張っている人(今は甲子園真っ只中か)、社会人では仕事を頑張っている人など。

 

 ただ頑張ると一口に言っても、今日のブログタイトルにもしたが、「良い頑張る」と「悪い頑張る」の2種類の頑張るがあると考えられる。

 

 今日はこの2種類の頑張るについてだらだら述べていく。

 

 

 

「良い頑張る」とは

 

 「良い頑張る」とは具体的にどのようなことか。

 

 と言っても何か特定の定義があるわけではない。述べていくのはあくまで私の考えである。

 

 「良い頑張る」とは自分の好きなことや熱中できることに全力に取り組んでいる状態のことをいう。とにかく目の前のタスクに没頭し、もう時間が過ぎるのを忘れている、こんな状態になっていれば「良い頑張る」をこなしていることになる。

 

 で、自分の好きなことであるから、苦痛を感じずに圧倒的な量をこなすことができる。その結果、最短距離でその分野の力がつく。

 

 なので、「良い頑張る」は得られるメリットがあまりにも大きい。

 

 私の人生の経験上、この「良い頑張る」をこなしていると自然と良い出来事が起こる。

 

 人間関係に恵まれたり、自分のやりたかったことが思っているより早く実現したり、まあ他にもいろいろあるが、とにかく毎日が楽しいのである。

 

 まあ考えてみると当たりまえなのかなとも思う。

 

 

 好きなことをやっている以上、負の感情になることなんてほとんどない。確かに好きなことをやっている際、うまくいかなくて落ち込むことはある。

 

 それでも、自分のスキルを伸ばすために必要なことなんだとポジティブにとらえることができる。

 

 なので負の感情が長続きしない。

 

 ここでスピ系の話題を持ち出すつもりはないが、良い感情をキープしてれば、必然的に良い出来事を引き寄せることができる。

 

 今目の前で起きていることは、あなたが日々抱いている感情を具現化したものなのである。

 

 満員電車でイラつくのも、電車の遅延でむかつくのも、別に交通機関じゃなくてもいいが、目の前で嫌な出来事が起きているのは、あなたが日々負の感情を抱いていることの結果なのだ

 

 もし、あなたがこういう出来事に見舞われているなら、「良い頑張る」を実践していないことになる。

 

 朝起きると憂鬱な気分になる。休日で仕事の前日(大体日曜)になると「また仕事か」と嫌な気分になる。

 

 組織におけるクソな人間関係に嫌気がさす。

 

 こんな感情になっていないだろうか。そうであるなら、あなたはこれから述べる「悪い頑張る」をしていることになる。

 

 何かを変えようとしない限り、当面嫌な出来事から避けることができないだろう。

 

 あなたは自分の心に素直になっているだろうか。自分の心に正直になっているだろうか。自分の直感めいたものに従っているだろうか。

 

 あなたは「良い頑張る」をするために、自分の心に耳を傾けなくてはいけない

 

 いや、別にこれを強制するつもりはない。「良い頑張る」をしても、「悪い頑張る」をしてもあなたの自由である。

 

 でもどうせなら、「良い頑張る」を少しでも実践して、日々良い気分に浸っていたほうがいいだろう。

 

 人生なんて一度きりだ。少しでも楽しんだほうがいい

 

「悪い頑張る」とそれが生み出される根源

 では話変わって「悪い頑張る」とはどのようなものか。

 

 「良い頑張る」と真逆のことである

 

 これは考えれば、というかそもそも考えなくてもわかる。

 

 ただ、こういう一見単純なことを今一度冷静に考えてみると何か、今まで見過ごしてきて気付かなかったなにかがわかってくるかもしれない。

 

 それでは「悪い頑張る」について詳しく考察していこう。

 

 「悪い頑張る」とは自分の嫌いなことに嫌々取り組むことである。

 

 やりたくない仕事、例えばハンコ連打、書類確認そしてハンコ連打。

 

 

 本当は話すのが好きじゃないのに不幸にも会社の都合で営業に配属されてしまった人とかはもろに被害をくらっているだろう。

 

 その逆に話すことが得意なのに事務系の部署に配属されてしまった人も同様である。

 

 やはり日本の会社というのは労働者の権力が圧倒的に弱い。カール・マルクスの考えは古いという人もいるが、それでもいまだに「労働者を搾取する」というスタイルは支配的なのである。

 

 話がそれてしまった。

 

 で、話を戻すと「悪い頑張る」とは嫌いなことを露骨に頑張る行為なのである。

 

 このような「悪い頑張る」を続けていると心身共に異常が生じ始める。

 

 最初は微々たる症状だったのが次第に大きくなり始める。

 

 初期の時は「会社(学校)行きたくねー、まじめんど」だったのが、後になってくると「もう会社(学校)自体行きたくない!もう嫌!」という心境になる。そしてベッドから起き上がれない状態になる。

 

 それに伴い風邪をこじらせたり原因不明の具合悪さに襲われたりする。

 

 したがって、嫌いなことを嫌々露骨に頑張ると、心身ともに悪影響が出るのだ

 

 これが「悪い頑張る」である。

 

 学生のうちなら、周囲が守ってくれることが多いので、何とかなることは多い。

 

 それでも何とかならず自殺してしまう人もいるの、必ずしも何とかなるとは言えないが。

 

 問題は社会に出てからである

 

 社会に出れば自分を守ってくれる人はいない。職場の同僚に悩みを言うこともできるが、組織の人間同士である以上、学生の時の友人ほど信頼しあえるわけではない。

 

 親に泣き寝入りすることもできるが、会社を訴えたり、退職届を出すのはすべてあなた自身で行わなければいけない。

 

 自分でどうにかしなければ、あなたは「約懲役40年『悪い頑張る』をする刑」を受けることになる。

 

 なのであなたは自分で行動をすることを積極的にしていかなければならない。

 

 しかし、辞めるということをできない人が多いのが事実だ。

 

 なぜか。

 

 いろいろな理由が考えられる。世間体、見栄、プライド(大企業にすがっていたいなど)。

 

 他にもあなたの性格がある。「自分が辞めたら周囲に迷惑がかかる」、「家庭があるから辞めるに辞めれない」など。

 

 あなたはなんと真面目なのだろう!

 

 しかし、その真面目さは劣悪な労働環境が支配する日本社会では致命的となる。

 

 ルールよりも「情」を優先する日本の労働環境においてあなたの真面目さが報われることなんでほとんどないだろう。

 

 立場の弱い労働者を搾取し、一部の働かない人間に利益が分配される社会は今後とも変わらない。どんなにAIが発達したとしてもそれは同じことだろう。

 

 というかAIの台頭によって、あなたはより一層価値のない仕事をやらされるかもしれない。詳しくは↓

 

 

www.whatithinkandfeel.net

 

 

 話が若干飛んでしまったので、話を戻すと、「悪い頑張る」を実践しなければならない会社(もしかしたら人によっては公務員)を辞められない人が多いのが今も昔も変わらない日本だ。

 

 しかし、根本をたどると、組織を辞められない理由というのは日本の教育にあると考えられる。

 

 日本の教育の闇については上記の堀江貴文氏の『すべての教育は「洗脳」である』に詳しく書かれている。

 

 私たちは学校という教育機関によって「常識」を植え付けられていった。学校における「常識」というのは道徳規範を押し付けることである。

 

 「みんな仲良くしよう」、「先生とすれ違ったら挨拶をしましょう」、「廊下を走ってはいけません」など。

 

 他にも決まった時間に登校し、決まった時間に帰る。1限から5、6(高校になったら7限)に授業がぎっしり詰め込まれる、帰宅部はあまりよく見られないなど。

 

 通知表は1やCがつくと落ちこぼれの烙印を押されるのも学校教育の例だろう。たとえ何か秀でた科目が1つあっても全体が悪ければ相手にされない。

 

 なので嫌いな科目も将来を考えるなら無理に頑張らなければならない。

 

 もちろん医者など高度な知識を要する職業は嫌いな勉強でもしっかりこなさなければいけない。

 

 オペをしっかりでき、コミュ力が高くても、知識がなければ務まらないだろう。偏った知性をもった医者はあまり信用できない。

 

 しかし学校は全ての生徒にオールラウンドな知識を持つことを要求する。

 

 こういう風に恣意的な「常識」を押し付けられたことによって、私たちは「悪い頑張る」をすることが習慣となってしまったのである

 

 当然学校を中退してしまえば、レールからは外れることを意味する。本来レールは自分自身でも作れるのに

 

 学校で教わるのは知識ではなく常識なのである

 

 「廊下を走るな」や「先生に挨拶しましょう」などの道徳規範は大人になっても覚えているのに、授業でやった数学の知識、物理の知識、歴史の知識、英語の知識をほとんど覚えていないのは知識などほとんど教えられていなことの証拠であろう。

 

 授業での記憶はだいたいが「眠かった」や「問題を当てられるのが嫌だった」や「教科書を読むのがだるかった」という人が多いのではないだろうか。

 

 これを書いている中の人はだいたい上記の心境だった。

 

 というか英語の発音をうまくできない人とかはみんなの前で英文を読むとかもう地獄だっただろうと思う。

 

 こういう風に「常識」を叩き込まれ私たちは従順な働き手を求める社会へと「出荷」されるのである。

 

 従順に働いてもらうこと、つまり、給料が低いことの不当さを主張したりしない、仕事内容に疑問を持ったりしない、上司に反抗したりせず、黙って言われた通りに働いてもらうことを目的とした組織にとっては、「常識」を植え付けられた「製品」は使い勝手がいいのだ。

 

 画一的な「常識」、「オールラウンドな知識」をもった「製品」は歩留まりが高い。

 

 そういうわけで組織、というか日本の社会というのは「悪い頑張る」をすることを前提にしてつくられていることがわかる。

 

 かくして私たちはこの愚かな社会に飲み込まれることになるのである。

 

 「悪い頑張る」はもう教育の段階で行われてきたことがわかっていただけただろうか。というか、上記で紹介した『すべての教育は洗脳である』を読んでいただければ、その全容がわかるだろう。

 

 まとめると、「悪い頑張る」は自分な嫌いなことを露骨に頑張ることなのだ。そしてそれは教育の段階で既に行われている。

 

 ただこういうことを言うと、「嫌いなこと、苦手なことをやることは必ずしも悪いことではない」と主張する人が出てくるだろう。

 

 確かに。私はその主張が間違っているとは思わない。なので嫌いなこと、苦手なことをやることのメリットも書いていく。

 

嫌いなことをやるメリット

 嫌いなことをやることのメリットは自分が何が嫌いなのかを自覚できる点である。

 

 嫌いなことを自覚すれば、自分の向いていなことがわかる。自分の向いていないことがわかれば、自分が何をしなければいけないかがわかる。

 

 嫌いなことを自覚しないで、そのタスクをこなすことは自分にとってもつらいし、周囲にも迷惑がかかってしまう。

 

 なので人間関係などを考えたうえでも早い段階で、自分が何が嫌いなのかを理解することは重要である。

 

 他には勉強面だろうか。小学校から高校まではカリキュラムの都合上自分の嫌いな科目、苦手教科にも取り組まなければならない。

 

 国語が得意だが、数学とか見るだけで「アレルギー」が出るほど苦手のような人でもとりあえずは数学に取り組まなければならない。

 

 その現実から避けるようなことをすると、自分の人生の選択肢を狭めてしまう。地方では公立の進学校が優位なので、5教科ができることは必須である。

 

 

 それができないということになれば、私立の高校に進学するか、さもなくば得意科目でよほど神がかり的に得点源にしなければ公立の進学校に合格することは難しい。

 

 したがって選択肢を狭めないためにも、苦手教科にはある程度取り組まなければならない。

 

 「今の学校システムは腐っている!今すぐ改革を!」と主張したところで現行のシステムは変わらない。

 

 そうであるなら、苦手科目に取り組んでどうにかしたほうが現実的である。

 

 別に勉強とかはそれができないからといって直接的に人間関係に影響を与えるわけではない(劣等感を感じることはあると思うが)。

 

 できてもできなくても結局は個人の問題である。ならば勉強に関しては苦手でも取り組んだ方がいい。

 

 嫌いなこと、できないことをできるようになることで、自信がつき、それが成功体験につながるということもある。

 

 そういうメリットがあるので、勉強に関しては苦手であっても取り組んだ方がよい。

 

 勉強における苦手克服は完全に自分との闘いなのである。誰か相手が関与するわけではない。少なくとも国語数学理科社会英語に関しては中学レベルまではできておいた方がよいだろう。

 

 この5教科の基礎学力を築き、学習方法を確立すれば、自分の興味関心のあることに対する上達も早くなる。

 

 得られる情報も変わってくる。サイエンスの知識があるのとないのでは、人生における生活スタイルも大きく変わってくる。

 

 英語を話せるか話せないで、交友関係は大きく変わってくる。

 

 要は入ってくる情報量とその質が勉強しないのと比べ各段に変わってくるのである

 

 なのでくどいが勉強に関しては苦手であっても取り組んだ方が自分の人生における視野は広まる。

 

 で、勉強ができることはあなたを守ることにもつながる。既に述べた進学校ネタだが、あまり良い言葉ではないが、「偏差値の高い高校、大学」の方が人としてしっかりしている子が多い。だいたいキチンとした家庭環境に育てられた人が多く、人をいじめたところで時間の無駄でしかないことは当たり前に自覚しているので、そもそも衝突はあまり起きないことはみなさんわかるだろう。

 

 一方「偏差値の低い」学校にいると、あなたは危険にさらされる可能性が高くなるだろう。やんちゃな人が多かったり、むかつくやつがいれば真っ先にターゲットにしたがる人が多い、というのはまあ言わなくてもわかるだろう。

 

 もちろんすべての「偏差値の高い」学校の生徒が良い人間とは限らないし、「偏差値の低い学校」の生徒でも優しい人間はいる

 

 偏差値と目先の大学にしか関心がない、偏差値高いいんきゃもいるだろうし、偏差値が高い学校でなくとも情熱的で心優しい生徒だっている。

 

 というか人間関係を偏差値で決めるとかこれほど愚かなことはない。それこそいんきゃである。それこそ人生の選択肢を狭めることになる。

 

 しかし、しかしである。所属する組織を考えるなら、頭が良い人が集まったところの方が絶対に良い

 

 頭の悪い組織は何をやらかすかわからないし、ブラックが当たり前に横行している。というか効率とか非効率とかそんなものはあってないようなものだ。

 

 一方、ちゃんとした知性を持った人たちで構成された組織は(一部学歴とかにプライドを持ちすぎて人を見下すアホがいるが)、おおむね安全地帯である(ただし官僚とかは頭良くても労働環境がブラックだが)。

 

 繰り返すが、付き合う分には別に相手の偏差値とか学校はどうでもいい。

 

 でも進学とか、就職とかはしっかりある程度レベルの高いところを目指した方が賢明である。

 

 あなたの身を守るためにも。

 

 この被害は就職でもろにくらってしまうことが多いと私は予想する。

 

 例えばある程度の大学を卒業した後、いろいろあってレベルの低い会社に就職してしまった人がいるとしよう。

 

 そこで強烈な「洗礼」を浴びることになる。今までは良質な組織の下、良質な人間に守られていたのが、社会に出て救いようのないDQNと付き合わなくてはいけなくなった人はもう拷問じゃないだろうか。

 

 そういう状況にある人は転職するなり、独立するなり方法を考えよう。

 

 人間関係で救いようがないと、状況が良くなる可能性はほとんどゼロだ。

 

 もし現在の状況下で良くしたいなら、あなたの人としての水準を落とすしかないだろう。

 

 それが嫌なら、転職か独立である。あなたの知性を無駄にしてはいけない。

 

 話がまた飛びすぎたので、話を戻すと、勉強においては、たとえ嫌いだったとしてもある程度は取り組んだほうが得られるメリットは大きいよ。

 

勉強を避けると「悪い頑張る」をしなければならない状況が増える

 学歴がどうであれ、勉強をしなければ「悪い頑張る」をしなければならない状況が増えることに間違いはないと思う。

 

 前の章でも勉強に関するメリットは述べたので、もうわかっていただけたと思う。

 

 知識が蓄積されていくことがないので、やれることが限られてくるのである。

 

 英語が嫌というのは簡単だし、AIに全部任せればいいという人もいるだろう。でも、自分で話せる人の方が魅力的だし、むしろ自分で話せた方がコミュニケーションはスムーズにできる。

 

 いちいち自分の言ったことを訳させていては時間のロスだ(AIがどれくらい機能が高まるかは未知数だが)。

 

 仮に言ったことを訳させるにしても母語の読解力がないとうまくできない。

 

 これらは勉強のほんの一例だが、勉強を拒絶したところでメリットなんてなに一つない。

 

 歴史や宗教の知識があるのとないのでは、人間としての魅力が大きく変わってくる。それでもいいという人もいるだろうが、そうやって拒絶する人ほど努力も大してしないのに「困った時の神頼み」をする。

 

 神は自分で何かをしようとしない人間には手を貸さない。

 

 いろいろ拒絶していくうちに気づくとあなたはDQNが幅を利かせる組織に身を置かなければならなくなる。

 

 それで脱出することを考えず、ただ職場や上司の愚痴をいう「サイレントマジョリティー」になり下がってしまう。

 

 こういうことが起こる可能性があるのでやはり勉強は絶対にしたほうがいい。

 

 それでも勉強が苦手で嫌いという人もいるだろう。

 

 ・「テストで高得点とるとかしんどいし」

 ・「勉強して進学校にいくとか到底無理」

 

 こういう不安を抱く人もいるだろう。

 

 だが、別にテストで高得点とか進学校に行くとか(行けた方が治安がよい)、そういうことまで考えなくてもいい(考えたほうがもちろん良い)。

 

 大事なのは取り組む姿勢なのである

 

 たとえ苦手であっても、なんとかできるようになりたいという姿勢を持っていれば心ある頭の良い人がきっと味方をしてくれ、あなたを最善の道へといざなってくれるだろう。

 

 勉強ができてもできなくても、やろうとする姿勢があれば、人生はより良くなる。

 

 勉強はあなたを守るのである。

 

 もししなければ、あなたは「悪い頑張る」をして人生が味気ないものになると私は考える。

 

 したがって、勉強をすることによって「悪い頑張る」をする機会は減るということができる。

 

 5教科できるに越したことはないが、もしできないにしても、克服しようとする姿勢は持とう。

 

学校の「常識」と勉強

 ここまで読んできた人はどこか矛盾めいたものを感じたのではないか。

 

 私が最初のほうで学校の成績のシステムを批判していたのに、後になって勉強の重要性を説く。

 

 最初に主張していたことと後の主張が変わっている、そう感じた人もいるだろう。

 

 なのでここではっきり言う。

 

 学校の「常識」には疑い、勉強はなるべく自分で学習する、という意識を持つこと。

 

 学校の「常識」と個人の勉強は別々に考えていただきたい。

 

 そうすれば、あなたは愚かな支配者に支配されずにすむ。

 

 

 「常識」の欺瞞を理解し勉強の重要性を理解しているのだから。

 

 勉強は学校じゃなくてもできる。今はネットで知識を得られるし、紙媒体も良質な内容のものが多い。

 

 なので、どんどん自分から勉強する姿勢を身につけ、「常識」の支配を受けないようにすれば自由に生きられるだろう。

 

 短いが、誤解のないように書いておいた。

 

「良い頑張る」を送る人生

 「良い頑張る」を送る人生は本当に楽しいし、毎日が充実する。

 

 そんな人生を私は送りたいと思っているし、あなたにもそうなってほしいと思っている。

 

 なので、「良い頑張る」を送るために必要な(私の考え)ことを述べる。

 

 「良い頑張る」をする人生に必要なことは自分の心に正直に素直になることである。

 

 もし何かやりたいことがあれば、周囲が何と言おうともその信念を貫くこと。これが大事である。具体的な事実を述べるのは避けるが、私はこの信念を貫くことによっていろいろ人生を切り開くことができた。

 

 なので、自分にウソをつかず自分の心に素直になること。

 

 次に自分の嫌いなことは(勉強を除いて)、やらないこと。自分にとって負の感情になるものをやったところで、負の出来事を生じさせるだけだ。

 

 嫌いなことをやって健康を害してしまったら、もう何のために生きているのかわからない。

 

 

 なので嫌いなことは(勉強を除いて)やらないこと。

 

 別にそれでも心配することはない。あなたにとって嫌いなことはある人にとっては好きである可能性がある。

 

 世の中は埋め合わせでできているのだ。したがって自分の嫌いなことは他の人に任せ、好きなことを徹底的にやればいい。

 

 とは言っても好きなことをするのにためらう人もいるだろう。

 

 「今の仕事があるし」、「周りに迷惑をかけるし」

 

 こう思っている人もいるはずだ。

 

 なので、まずはメンタルから変えていく必要がある。

 


(146)自分のことだけ考える。: 無駄なものにふりまわされないメンタル術 (ポプラ新書)

 

  既に述べたが、多くの日本人は学校のよる「常識」が植え付けられている。

 

 この植え付けられた「常識」を取っ払うことから始めなくてはいけない。

 

 そのための手助けとなるのが、『自分のことだけ考える』。

 

 まず私たちは「不真面目」になる必要がある。「不真面目」にならなければ、自分のやりたいことを選択したりできないし、嫌な会社を辞めることができない。

 

 「不真面目」といっても露骨に仕事をさぼったり、荒れ狂った行為をするのではない。おかしな「常識」に懐疑的な考えをもち、周囲の意見に左右されず、自分の意思で行動できるようになる、これが「不真面目」さである。

 

 というか、純粋に真面目な人は淘汰されるか、支配者に搾取されるままである。おかしなことに疑問を抱かず、ただ目の前の仕事を黙々とこなす、これほど危険なことはないだろう。

 

 したがって「不真面目」になることが「良い頑張る」を実践するうえで必要となる。

 

 次に無心になって没頭できるものを探すことだ。別に野球でもテニスでもゲームでもなんでもいいい。

 

 無心になってできるものを探し、それに没頭していると自然に道は開けてくる。そのためには自分の興味あることをいろいろやってみなければならない。

 

 飽きたら飽きたで全然いいし、はまれるものを見つけることができればそれは本望である。

 

日本社会の風通しの悪さは「悪い頑張る」が積み重なった結果

 結局言えることは、この日本社会のどんよりした雰囲気は、皆が「悪い頑張る」をした結果だと思う。

 

 学生時代はあんなに楽しかったのに社会人になり、その楽しさを忘れてしまった、という人が多いような。私の勝手な主観だが。

 

 もう電車の中とかの閉塞感とか本当にやばい。

 

 皆同じ色のスーツでひたすらスマホに興じている(私もたまにはいじるが)。

 

 ある人は(というか大部分が)いらついた表情で、またある人は奇妙な笑みを浮かべスマホをenjoyしている。

 

 彼ら彼女らがどのような人生を送っているのかは全くわからない。

 

 だが、察するに日々単調な変化のない生活を送っているように感じる。

 

 変わらない仕事、変わらない人間関係、変わらない職場。

 

 確かにいったん慣れてしまえばラクかもしれない。だが、そこに「良い頑張る」というのは存在しない。

 

 自分にとって楽しいと思うこと、ワクワクすることとは対極的な世界になってしまっている。もはや無縁となってしまている。

 

 このような状況にある人が大多数なのではないか。あくまで電車の中で勝手に私が考えた根拠のない妄想に近いものであるが、あながち間違ってはいないような気もする。

 

 こう言うとひんしゅくを買うのはわかっているが、それでもこの閉塞感はどうにかならないものかと思う。

 

 高校生や大学生は日本の社会人をどのように見ているのだろうか。

 

 「あー卒業したらあんな感じになってしまうのかー」、「うわ~学生としての生活を終えたらもう楽しめなくなってしまうのかー」

 

 こんな風に感じていたら、もうこの国は絶望である。

 

 そうならないためにも、一人でも多く「良い頑張る」を実践していくなら、未来は今よりましになるかもしれない。