ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

自由になるのを阻むのは

 私たちは人生面でいろいろと不自由である。 

 

 こう言うと批判されるのはわかっている。

 

 「何を言っている!私たちは経済的に恵まれ、生活環境においても不快感なく暮らしている。電車やバスだって『ほぼほぼ』時間通りに来るし(中央線と総武線の遅れ具合はやばすだが)。様々な面で恵まれているのに不自由だなんてけしからん!」

 

 おおよそこんな感じの批判だろう。

 

 だが、それでも不自由だ。学生や社会人にしても組織に縛られ、その組織を生活の軸にして生きていかなければならない。

 

 しかも給料は上がらない、休暇も増えない。

 

 それでも歯車となり働いていかなければならない。

 

 こんな感じで私たちは自由になれずにいる。

 

 ただ、至極全うなことを言えば環境が合わなければ辞めればいい話なのである。合わない組織を辞め転職するなり、起業するなりすればよい話のはずである。

 

 でも多くの人はそれができずに自由になることを諦める。

 

 なぜそれができないのだろうか。それについて考えていきたい。

 

 

 

真面目すぎー!

 特に日本人は真面目だと思う。いや、私も日本人だが。与えられた課題はしっかりこなす。期日もしっかり守る。遅刻厳禁。出勤時間に2、3分でも遅れようものなら皆激おこである。

 

 それでも電車やバスはいくらでも遅れ放題なのだが。

 

 人間関係も上の人間には反論せず、偉い人たちがとりわけ得意な忖度もしっかり行う。仕事のことを第一に考え(今はそんなんでもないが)、むかついて退職する人もほとんどいない。

 

 ちょっとの風邪では会社や学校を休まないだろうし、雨や台風とかで電車が遅延しまくって、出勤する気が失せても「とりあえず」出社しようとする。

 

 もう感服するしかないだろう。

 

 でもこの真面目さゆえに私たちは自由になれないのだ

 

 自分より周囲の人間のことを第一に考えるので、おかしな環境に身をおいていても脱出することを考えないのだ。

 

 組織のお偉い人たちも、休んだり、辞めたりしたら周囲に迷惑がかかるとまじめんずに圧をかける。

 

 

 まじめんずはそれを素直に聞き入れ組織にとどまることを選ぶ。

 

 そうしておよそ40年変化のない人生を送ることになる。週5日苦痛に満ちた労働をし土日、ゴールデンウイーク、年末に思いを馳せるライフサイクルを送ることになる。

 

 たかだか10日間の休みを長期休暇と呼ぶこの国の愚かさよ 笑。

 

 まあそういう風に良くも悪くも真面目すぎる国民性ゆえ組織の檻にとらわれ自由になれないのだ

 

恥と世間体

 私たちは恥じることに恐怖を感じる。しかも過剰に。

 

 「たった1年で会社を辞めるなんて恥ずかしい」、「失敗したらどうしよう。みんなに笑われるんじゃないか」、およそ考えられるのはこんな感じだろう。

 

 その恥じることの恐怖の根底にあるのは世間という存在である。

 

 私たちは必要以上に周囲の目を気にする傾向が強い。つまり周囲の人ありきでいろいろ考えてしまう。

 

 だから自分だけ孤立するのを恐れるし、何かしらの組織に所属していたいと考える。

 

 でも、繰り返すがこれも自由になれない原因の一つである。

 

 

 確かに周囲の人々と信頼関係を構築し、共存を図ることは重要である。しかしいちいち相手のことばかり考えていたら自分が幸せになれないし、本日のテーマである自由になることもできない。

 

 その結果、本意ではないのにも関わらず、組織にいとどまることになる。これが学校とかなら卒業があるので一定の区切りがついたら組織から離れられるが、社会人になると、自分から行動を起こさない限り半世紀近く「監禁」されることになる。

 

 ここまで書くと、結果がまじめんずと同じだということがわかる。

 

 ということはまじめんずも恥を恐れることも意味は似たようなものなのである。

 

 まじめんずでいる限り、恥をかくことに恐怖を感じ環境を変えることができない

 

 そうだとすると対策はもうわかるだろう。マジメンズを辞め、恥をかくことにナーバスになりすぎないことだ。

 

 そもそも他人というのは思っている以上に相手のことなんて気にしていない。そりゃ同じ組織に居続ければ目をつけられるだろうが、辞めてしまえばこっちのものだ。

 

 辞めた人のことなんてぶっちゃけどうでもいい、というのが人々の本心ではないだろうか。

 

 それでも私たちは人の目を気にせずにはいられない。もっというと世間体を気にせずにはいられないのだ。

 

 まあすぐにはこの考えを改めることはできないにしても、人というのは思っている以上に他人に無関心でいることが多いのだ。

 

 なので組織のこととか人間関係のことなんてそんな深刻に考える必要なんてない。

 

 てか、すぐ売れて消える芸人のことなんて何年も記憶している人なんてそうそういないだろう。たまに脳裏によぎる程度のものだろう。

 

 ましてや一般人なんてなおさらだ。

 

失敗に対する恐怖と保守的考え

 まーこれ恥かくことの恐怖と同じような意味なんだけどね。

 

 私たちは失敗することに恐怖を感じすぎている。というかそういう環境で育ってきたから仕方ないといえば仕方ないが。

 

 受験にしても私大の多様な入試制度を利用するならともかく国公立とかKOとか(って各学部の試験って一回しかなかった気が)、とかはほぼほぼ一発である。

 

 大学受験以前は高校入試、中学入試、人によっては小学受験などいろいろな一発勝負を経験していると思う。

 

 受験に限ったことではない。部活とかもそうだろう。高校野球とか一回負けたらもう終わりだ。

 

 こういう風に一発勝負の環境で生きてきたがゆえ、失敗は許されないという意識が形成される。

 

 この失敗してはいけないという考えによってまたまた私たちは自由になることから遠ざかる。

 

 失敗してはいけないということは、そもそも失敗しない安全な環境にいればよいということになる。

 

 しかも社会人になると社畜の価値観に染まり、「全力少年」でなくなるので、保守的な考えになってしまう。

 

 失敗せず安定した環境にとどまっていれば自由になれなくとも地に落ちることはない。

 

 そのような考えになり自由を獲得することを放棄するのである。

 

自由を得たければ

 自由を得たければマジメンズの殻を破り、失敗を恐れず行動していくしかない

 

 そもそも、そんなことしたって人生が終わるわけでも死ぬわけでもない。

 

 あ、でも誤解してほしくないのは組織に所属する=不自由ということではないということだ。組織の中で自分自身の存在価値を見出し、自分の居場所だと感じられる、そして毎日生き生きと過ごしているというならあなたは自由である。

 

 重要なのは「自分の時間」を生きることである。毎日が楽しく感じ、充実した日々を過ごす、これが究極的な理想だ。

 

 組織からの独立というのはそういう時間を過ごせるようになるための手段である。それを自分自身で行えるようになれば自信を得ることにつながる。

 

 幸い、今は昔より簡単に起業できたりネットで金を稼げる時代なので行動を起こすチャンスはいくらでもある。それに組織の中で人間関係がうまくいかなくとも気にする必要はない。

 

 今はSNSなどで自分と気があう仲間を探すことができる(犯罪とかには注意だが)。

 

 

 現代は思った以上に自由になる環境が整っている。たぶんこの動きは「進んで」いくだろう。あえて「」をつけたのは私たちが失敗を恐れず、マジメンズを辞め行動できたら実現すると思ったから。

 

 いきなり会社辞めるのが怖いという人は小さな成功体験を積み上げて自信をつけていくといいかも。

 

参考資料

 


(146)自分のことだけ考える。: 無駄なものにふりまわされないメンタル術 (ポプラ新書)