ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

執着心について考える

 一般的に執着心というのはないほうが良いとされている。仏教などでも執着を手放すことで解脱できる的なことが書かれている。んま、現代でも執着心なんてないほうが楽に生きられる、というのはみなさん頭ではわかっていることだと思う。

 

 ということで今日は執着心というものについて考えてみることにする。

 

執着心なんてないほうがよろしい!?

 私たちは執着心はないほうがいいとわかりつつも日々、執着に支配されている。執着の対象はモノや人、様々だろう。「どうしてもあの〇〇が欲しい!」だとか「どうしてもあの人と関わりたい、付き合いたい!」など様々な執着心が心の中に渦巻く。

 

 そりゃあ、これらの感情なんてないほうがラクである。こんな心持ちさえなければ余計な行動なんてしなくてすむし、お金もかからない。つまり、人生において無駄なコストがかからなくなる

 

 執着なんてなくして日々を生きた方が気持ちがラクだ。失うものなんてなにもない。無難な人生を歩める。

 

 実はこういう考えが現代では支配的だと思う。いや、それでモノや人に対し強い執着がある人もいることは十分承知である。

 

 こういう執着心のない(欲がないと言い換えてもよいが)、風潮はバブルとか高度経済成長とかを生きた人からすると奇妙な考えかもしれない。まあ私も平成生まれなのでなんともいえないのだけど。

 

 昔はある意味、この執着するというのが成功するための条件だったと思う。いっぱいお金を稼いで、マイホームを持ち、高級車を買い、羨望のまなざしを向けられる、というのが勝ちパターンだったと思う。

 

 しかし現在ではそんなことをしても成功のステータスにはならない。若い人からするとそんなことはお金の無駄であるし、車なんて別に車としての機能を果たせばいいだけで高級かどうかなんて関係ないのである。というか免許すらもとらなくなっている。

 

 家だってそうだ。わざわざマイホームなんて購入したところでローンという重荷を背負ってしまう。それだったら賃貸のマンションで十分だ。そういう考えが主流だと思う。

 

 じゃあ、人間関係はどうか。今までの車とか家とかの例の流れからすると、別に彼氏、彼女なんていなくても生きていける、という考えが広がっているんじゃないと思う。

 

 その理由としてまあ端的にいうとコストをかけたくないということになるだろう。告るのも気が重いし(なかにはLINEでする人もいると思うけど笑)、そのあとの付き合いもいろいろお金がかかってしまう。

 

 そう考えると独り身のほうがらくである。つまるところいろいろ持たんほうがコストゼロで済むのである。って考えたらやっぱり執着なんてないほうがよいのだろうか?

 

じゃあ執着って…

 これまで述べてきたことから執着さえしなければコストはかからないという考えが導きだせる。もちろんコストなんてかからないほうがよいに決まっている。

 

 ってみんな頭ではわかっているはずである

 

 じゃあ執着なんてなくしてしまったほうがよいのか。それは違うと思う。そもそも人間執着心ゼロマンになろうと思っても無理だ。なにかしら強く欲するものがあるだろう。その対象がモノであれ、人であれ。

 

 というか勝負事では執着というのは必要不可欠じゃないのか。よく「勝利に対する執念」とか聞く。まあ執着とは若干違うけど強く望むことに変わりはない。そういう「勝利に対する執念」を持つ選手のプレーを見て私たちは心を動かされる。

 

 勝利に対する執念がない者同士のプレーをみたところで興ざめするだけだろう。

 

 そういうことからも執着とは生きる上で必要不可欠だろう。あなたに配偶者(あるいは彼氏彼女)がいるのも「この人がいい!」という強い思いがあったからだろう。

 

 そう考えると、確かに執着というのはコストがかかることだが、それ以上に人々の人生を豊かにするという一面もあることがわかる。

 

 もちろんあまりにも強すぎる執着を持ちすぎるのはよろしくない。そうするとたぶん強い反作用みたいなものが働くと思う。てか執着して望むものが手に入らないのってこういうあまりにもこだわりすぎる執着心のせいだと思う。

 

 ただこのさじ加減って結構難しいんだな。その人の常識に委ねられている。ただ言えることはその執着が周りの人間の害になるようであればそれはかなわぬもので終わるであろう。まあそういう人があなたの周りにもいるのではないか。

 

 とにかく執着というのは人生生きていくうえでなくてはならないものというのが私の考えである。もし執着という言葉に強い抵抗を覚える人がいるなら、こだわりという言葉に置き換えて考えてみるとよい。

 

 なので執着、こだわりというのコストがかかってしまうことだけれでも、もしかしたらあなたの人生はそれで大きく変わる可能性がある。

 

執着と向き合うべし

 今まで述べてきたことから、執着というのは必ずしも悪いものではなく、人生においてもある意味、必要な存在であることがわかる。

 

 ただその執着を良い方向にもっていくのか、悪い方向にもっていくかについてはあなたの常識次第だ。これは私についてももちろん言える。

 

 良い方向に行かせる方法は私は専門家じゃないのでわからないが、それが利他的な結果につながるかどうかだと思う。例であげた「勝利に対する執念」というのも結局は誰かになにかしらの利益がもたらされているはずである。もちろん金とかじゃなくて。

 

 純粋に自分のためだけのことを考えると、勝利というのは、特にチームプレーであれば遠ざかるだろう。

 

 まあ個人競技にしても見ている人に何かしらの影響を与えられるからこそ勝てるんだと思う。

 

 じゃあ、執着が悪い方向にいくというのはどういうことか。それはもう言ってしまったが、自己の目的のためだけにこだわることである。って考えると欲しいモノとかって自分だけが得するような気がするけれども。ただそれも何かしら他の人に影響を与えられたら、それは良い方向になるんだけど。

 

 会社とかが金がらみの不祥事を起こすのも結局、自己の利益を第一に考えた結果だと思う。もしくは上の人間の脅しか。ああこれだから大人の世界ってやつは…(私も大人なんだけど、もちろんそんな不祥事は起こしていないけども!)。

 

 なのでもしあなたが自分の欲望を叶えたいと考えたら、それが誰かかしらの利益にもつながるかどうかというのをイメージしたほうがよい。そうすれば、より一層叶えられる可能性が高くなるだろう。

 

 こうやって一見悪いと考えられていることを考察していると。実は案外悪いもんじゃないと気付く。ただそれを生かすも殺すもあなた次第ってところか。

 

 今日はこれまで!