ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

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『読書について』から考える精読の有効性

 


読書について (光文社古典新訳文庫) [ アルトゥル・ショーペンハウアー ]

 

 読書という行為においては、精読が良いと考える人と多読が良いと考える人で分かれるところだろう。

 

 この『読書について』では精読だ良いということを主張している。それと同時に多読することの悪い部分も述べている。

 

 ショーペンハウアーについては↓

アルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipedia

 

 では本題に入ろう。

 

なぜ多読は良くないのか

本から読み取った他人の考えは、他人様の食べのこし、見知らぬ客人の脱ぎ捨てた古着のようなものだ。『読書について』p.11より引用

 

 

 この部分だけだと何を言っているのかわかりずらいので、この本全体の主張を要約すると、本1冊まともに理解してないのにあれこれといろんな本に手を出したところで自分の身にならないということを言っている。

 

 で、本自体も自分が書いたわけではない。他人が書いたものである。他人が考えた思想を深く理解もしないで、いろいろ読んだところで意味はないのである。

 

 ざっくり言うとこんな感じである。しかし、現代においては書籍は有り余るほどあるので、私たちは多読をすることのネガティヴポイントを見落としている。そういうことに気付かせてくれた本だといってよい。

 

 確かに考えてみると、いろいろな本に手をだしても結局断片的な情報しか残らないというのが現実だろう。そして自分の頭で考えていないことに気付いてしまう。ショーペンハウァーが主張しているのもこのことだろう。

 

 あれこれと読んでいるうちに、たくさん知性を蓄えていると思ってしまうが、実は自分で考えることの放棄に他ならないという考えは今の情報過多の時代においては重要な指摘である。受験や資格の勉強に当てはめて考えるといっそう実感を持てると思う。いろいろな参考書に手を出したところで、結局すべてが中途半端になってしまい、内容があまり理解できなかったという人はいると思う。まあそんな感じだ。

 

 確かに彼の発言はやや過激な部分があると感じる人はいるだろう。それに加えて多読をすることのメリットも見落としていると思う。しかし時代背景が異なるので精読、多読に対する考えの姿勢が変わってくるのも無理はない。

 

 次になぜ彼が精読が有効的な行為であると主張しているか、本を読み解きながら要約し、考えていこう。

 

精読することのメリット

どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜呑みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。『読書について』p.8より引用

 

 

 これが彼の精読に対する明確な考えだと思い、引用させてもらった。この引用の中で私が重要だと思った箇所は、「程よい冊数で、きちんと整理されている」という点である。確かと情報過多の弊害いう記事でも書いた気がするが情報がありすぎると、かえって有害なのである。

 

 それと同様にごちゃごちゃ余計な知識を持ったところで、自分の血と肉にはなっていないのである。まあ「知識をひけらかす知恵なき者」という感じか。ちょっと聖書の解釈と意味違う気がするが。

 

 じゃあ具体的な空間で考えてみよう。部屋の中に、というか床にいろいろものがちらばっていたらどうだろうか。歩けないし、何より不愉快な気分になる。そういう状態を作り出す人にだらしない印象を抱くのは当然だろう。

 

 部屋に散らかるモノだけではない。自分歩いている周囲にいろいろな店があったり、たくさん人がいたらどうだろうか。たぶんむかつくし、なにより目的地に着く時間にロスが生じる。

 

 つまり、自分の頭で考えることができないだけでなく、真理に到達するのにも時間がかかってしまう。それゆえ少ない情報であっても、それをしっかりと理解し、自分の身になるようにしておけば混雑した状況を避け、最短距離で真理に到達できるのである。

 

 そういうわけで、多読よりも精読の方が、自分の人生にとっては有益であり、ポジティヴな点が多いのである。よく「参考書は1冊にしぼってやれ」と言われるが、つまりは、そうしたほうがよけいなことに気を取られず、スムーズに内容を理解できるのである。

 

 今までの要約、というかショーペンハウアーの主張を読み取ると、多読はごちゃごちゃしている情報を整理できず、自分の頭で考えることができない、一方で少ない書物を精読するのは自分の頭で考え、知識が整理される、ということを言っている。

 

 じゃあ、多読はよろしくないのか。次はそれについて考えていきたい。

 

じゃあ多読ってだめなの?

 ここからは本の主張と関係ない完全な私見である。いままで再三多読は有害であるみたいなことを書いてきた。というかショーペンハウアーの主張である。しかし私は多読をするメリット、そして精読のデメリットもあると感じるので述べていこう。

 

 多読をすることのメリットとはなにか。それはたとえ断片的な知識であっても、ほんの読む量自体が多ければ、あとあと理解がついてくるからである。確かに読んだ時点では理解できなかったことも、いろいろな本を読んでいくうちに理解できる日はくるだろう。また「考えていない」という点も賛同できない。

 

 読書という行為はどんな内容であれ考えずにすることはできない。なにも考えず、何も思わず、何も感じず読むというのはそもそも読書ではない。それができないならまず本なんて買わないはずだ。

 

 なので、内容や読む冊数はどうであれ、読書をしている間はなにかしら思考はしているのである。そういうわけで多読は多読で良い点がある。

 

 では精読のデメリットとはなにかと考えたら、インプットの量が圧倒的に少ないことだろう。私は、量が質を生むという考えに賛成の立場だ。知識はある程度の量をインプットしなければ、キャパシティーは上がっていかない。そういった意味でも精読はインプットという観点からすれば、弱い点である。

 

 また、1冊を集中して読んでたら考えがかたよってしまう危険性がある。なので精読も考えてみると、デメリットがそれなりにあることがわかる。

 

 以上のことから精読、多読はそれぞれメリット、デメリットがあるので、それこそ自分の頭で考えどういう読書のスタイルが良いのか考えていく必要がある。

 

 まあベストなことを言えば多くの本をしっかりと吟味して読むのが理想なんだけど。ショーペンハウアーはそれができてない人が結構多く、知識がごちゃごちゃになってしまう人が多いと感じたから、こういう本をだしたのではないか。ただ繰り返すが、現代は本に限らず情報があまりにも氾濫しているので、そういう意味では今一度精読ということについて考えることは意味があると思う。

 

 それが有益な情報、無益なくだらない情報を選別する能力の向上につながるのではないか。ただあまりにも情報が多すぎるので、いちいち精読をすることは困難だろうと思う。だからといってテキトーに多読するのもよくない。それゆえにいらないと感じる情報は捨てていくという考えも重要だと思う。そうしていけば知識もおのずと整理されていくのではないか。

 

今日はこれまで!

 

 

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