ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

席を譲るか、譲らないかの葛藤

 電車やバスに乗ると、高齢者に席を譲るか譲らないか迷う人は多いと思う。私自身もそのように迷ったことは何度もある。まず「どうぞ」という言葉を発することができない。で、譲ろうとしたらかえって迷惑になってしまうのではないかと考えてしまう(高齢者扱いするな的な)。

 

 ということで席を譲るかどうかについて考えていきたいと思う。

 

1.席を譲ることの困難さ

 冒頭でも若干述べたが、席をゆずることは難しい。例えば、席を譲り相手に不快感を与えないかどうか(これが最初にいった高齢者扱いとか)などを考えなければいけないからだ。したがって相手の雰囲気から譲るかどうかを決定しなければいけない。

 

 露骨に健康的な感じの高齢者であるならば、譲る必要はないだろう。むしろ譲るという行為はかえって迷惑になるかもしれない。「自分はこんなに健康的なのに席を譲るのはけしからん」みたいな考えをもっている可能性がある。

 

 一方、本当に心身ともに疲れ果て明らかにやばそうな人はすぐに席を譲るべきである。これは周囲の視線も結構痛くなってくる。苦しみから抜け出したいなら、とっとと席を譲った方がいい。繰り返して申し訳ない。

 

 で、問題になるのが声をかけずらいということだろう。譲りたい気持ちはあるのだけど、なかなか「どうぞ」という声がでない。それで苦い思いをした人は結構いると思う。

 

 これ、高齢者でなくケガをしている人や妊婦の方には結構スムーズに譲ることができる。なぜなら双方とも譲りたい気持ち、譲ってほしい気持ちが一致しているからだ。体に負担がかかっている人は本当に立っているだけでもつらいと思う。だから席を譲ってくれた人まじ神くらいの思いだと思う。

 

 そういう思惑があるからスムーズに席を譲れるのである。高齢者の場合、健康的な人、もうしんどい人など様々であるので、対応が難しいのだ。優先席とかだったらすぐ譲れるんだけどね。

 

2.私の立場

 私自身も電車に乗っている際は結構迷う(バスはあんまり乗らないのだけど)。で、私の場合、譲った方がいいと思う時は、黙って席をたつ。まあこの駅、あるいは次の駅で降ります的なノリで。こうすると、いちいち声をかけず相手がどんな人であれ、何の問題もなく譲ることができる。

 

 こういうふうなスタンスをとっているから、自分の周りで、しっかりと声をかけて席を譲る人を見るとほんとうにすごいなぁと思ってしまう。それと同時にお互い気遣いあうことのややこしさを感じてしまう。

 

 一番良いのはずっと座らず突っ立っているほうが良いんだけども、それは所詮理想論にすぎない。みんな疲れているので、席に座りたい気持ちは当然ある。 ま、だから難しいんだけど。

 

 なんか話が脱線しているけど、それだけ席を譲ることは難しいということだ。そして気づくのは、じゃあ優先席がある意味はなんなんだということだ。たぶん優先席があったとしても普通に席を譲ることさえ難しい判断を余儀なくされんんだから、およそ優先席という席は機能しないだろう。

 

 これが私の立場である。

 

3.どうすりゃいいのか

 結局言えることは席を譲ることは難しい。何度も言ってきたように、席を譲ることは難しい判断を迫られるからだ。というか気遣いあうのが結構しんどい。

 

 そういうめんどくさいことに巻き込まれたくなければ、私のようにとっとと席をたつなり、ずっと立ってる(これは難しい)という二者択一をとればいいと口でいうのは簡単である。

 

 なんで多少無責任ではあるが、各自の判断というのが重要になってくる。相手がどのような人であり、どのようなことを望んでいるのかを「自分なり」に理解し、判断を下さなければいけない。結局優先席があっても問題は解消されないのである。

 

今日はこれまで!