ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

情報を得ることの重要性

今日は情報について述べる。お金に関する記事と同様に私は情報について詳しくないので知らないなりに書いていく。

 

ちなみにまだ文体を「です・ます」にするか「で・ある」にするか迷っているが、まあ気分次第。お金の内容と似るかも。

 

1.お金と情報の共通性 

私が考えるお金と情報の共通性は曖昧さである。情報も具体的に定義づけることは難しい。

 

もちろんIT関係の職業の人やITに精通している人はすぐに情報とは何か述べることは容易だろう。

 

ただここでは情報というものにあまり詳しくない人(私も含めて)の視点から書いているのでご了承くださいまし。

 

情報という存在ははっきりイメージすることができない。ただいろいろ連想することができる。

 

例えば新聞や本などの紙媒体による情報、ヤフーやグーグルに載っている情報など例を挙げればキリがない。

 

というかこれだけ無数にあるのでそもそも情報とはなにかと定義づけるのは途方もない所業のように感じるし、何より馬鹿らしくも感じる。

 

蛇足だが英語でお金と情報は数えられず、具体的にイメージすることができないから不可算名詞だと習ったが、このことからも情報とお金は曖昧とした存在であることがわかる。

 

 

それでいて知っている情報の質が高いほど、人生に結構影響したりする。例えば受験。地方と都会は受験に関する情報量が圧倒的に違う。

 

確かに、今はインターネット上でも優秀な講師の講義を聞くことができるようになり、過去に比べれば障壁はなくなっている。

 

しかしそれでも情報量に関して歴然とした差があるように思える。地方から上京してきた人(私も含め)がそれを感じているのではないか。

 

私の例であるが、結構大型の書店(紀伊国屋)とかに行くが、そこで圧倒的な本の量に驚かされる。

 

受験の例を挙げたので受験に関していうと、受験生が受けるであろう大学の赤本は学部とかも含め、ほぼ全部そろっている。参考書にしても圧倒的な量がある。

 

都会に住んでいる人はあまりこの恩恵を意識せず生活しているかもしれないので、地方の受験の例を述べよう。

 

札幌や仙台、名古屋、大阪、福岡などはその限りでないが、私が育ったkuso田舎では赤本が全部そろっていることなんてない。

 

欲しいなら、「求めよ、さらば与えられん」という面倒なことをしなければならない。

 

まあ単純に人口が違うなど理由があるけれど。というか田舎の書店に東大や京大、早慶上智やマーチ、日東駒専などの全学部の赤本を置いても売れ残りが大量発生すること必須。

 

たちまち本屋は赤く染まるだろう。結果、「赤狩り」となんとももったいないことになる。(もちろん本来の赤狩りと意味は違うからね!)

 

ここであげたのは受験の例だが就職や芸能志望の人などで上京してきた人もその情報量には驚いていると思う。

 

2.お金と比較した情報のイメージ 

お金のイメージがはっきりしていることは以前のブログで述べた。このブログの最後にお金ネタを載せたので見たい人はぜひ。つまりI love money or I hate moneyかである(ちょっとおおげさ!?)。

 

だが情報についてのイメージは善悪はっきりしてないように思える。

 

情報はなんと素晴らしい!という人もあまりいなければ、こんなkuso de gomiな情報なんて!という人はあまりいない(ギャンブルとか株をやっている人はそう言う人もいるかもしれないけれど)。

 

ここで重要なのは、おおっぴらには情報をはっきり肯定否定する人があまりいないということだ。

 

政治家や官僚、企業の役員、その他あなたの周りの強欲たっぷりな拝金主義者が有益な情報を独占していても非難しないであろう。

 

というかそういう情報をもっているのかそもそも知らないであろう。

 

結構これが大事。お金というのは数値化することができるのである意味「目に見える」形でわかる。

 

しかし情報というのはゲームなどのポイントを除けば数値化されない。それゆえ具体的イメージをすることが困難である。

 

お金が何百万、何億とあれば数値化はされるので資本主義否定論者はいくらでも非難することが可能だ。

 

繰り返すが、情報は一部例外を除けば数値化されず実態がわからないので非難することは容易ではないのである。

 

それでも有益な情報を持つ人を非難するのはもはや鬼畜である。

 

で、結局何が言えるかというと、情報もお金と同様に漠然としているが、お金よりも「見える化」ができないゆえ、善悪のイメージはあまり持てないということだ。

 

3.良質な情報の獲得と人生のアドヴァンテージ 

結局、情報をもってなんになるの?ということだが、良質な情報を獲得することで、人生に大きな恩恵をもたらすのだ。

 

今回は受験ネタで書いたが、受験に関する情報によって合否を分けるといっても過言ではない。

 

このことは受験生や受験が終わった大学生などが強く感じていることだろうと思う。

 

よく受験を制するのは志望校に合格したいという強い意志が必要だと言われる。私も大学受験をしているのでそのことを否定するつもりは毛頭ない。

 

しかしそれに加えて重要なのは志望校に関する重要な情報を集めるということだ。戦略がない状態で気合と根性で臨んでも総玉砕するだけである。

 

戦時中の日本は愚かな気合と根性論で多くの犠牲者を出し、愚かな戦争をしてしまったことは歴史が証明する通りである。まさに一億総玉砕社会である。

 

歴史というスケールで述べるのは大げさだが、情報なき戦いをすることは滑稽の極みである。

 

なので日々、情報を集めることを意識してみてはどうだろう。しかもいくら情報を得ても他人から非難されることはない。それだったら見ないわけにはいかないだろう。

 

電車やバスでゲームをする学生やビジネスパーソンの方々、ちょっと自分の興味あることをスマホでぐぐれば人生かわるかも。

 

今日はこれまで!

 

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