ニート系人間が思うこと-Je ne pense pas que je suis NEET

ブログで書く内容は雑記、教育、英語、カラオケ(たまに)などです。ニート系であって純粋なニートではありません。

英語は支配的言語であるのか

現代においては、英語を使いこなせる人は人生において大きな利益を得ることができる。仕事や年収は、英語ができる人の方が圧倒的に恵まれる。

 

このことに異論を唱える人はあまりいないと思う。

 

私たちは中学校から(今は小学校から?)英語を勉強し始める。

 

そして周囲の大人から英語がいかに重要であるかを教え込まれる。

 

それこそすでに述べたように仕事や年収で大きな利益を得ることができるだとか、あるいは英語が話せることで「世界中」の人とコミュニケーションをとることが可能になり人生が一層豊かになるだとか、その他にも英語を学ぶことの大きな利点を教えられる。

 

私たちはそれを聞き、今まで勉強してきた。(そして今も勉強中である)受験においても特に私立の大学は英語の得点が合否を左右することになる。

 

なので一般的に考えると英語の対策に費やす時間は多くなる。

 

受験だけでなくビジネスの世界でも状況はほとんど変わらないだろう。昇進などでもTOEICが何点など英語に関する要素が多い。

 

だがここで立ち止まって考えてみたい。では他の言語はどうなっているのか。今まで述べてきたことは日本の事情である。

 

とかく日本では英語が使えることが人生のアドヴァンテージの1つとされている。

 

ではそもそも英語はどれくらい話されているのだろうか。文部科学省のサイトを参考に見てみると、実は英語よりも中国語の方が話者人口が圧倒的に多いことがわかる。なんと約2倍の差がある。

 

このことからわかるのは、日本という国が過度に英語を重要視しているということである。3位以降、ヒンディー語スペイン語、ロシア語と続く。

 

この統計は古いので多少の変化はあるが、こうしてみてみると私たちはいかに英語に関心が行き過ぎていたかがわかる。ここでは話者人口が多い言語の分析は控える。

 

このようなデータがあることから、私はあえて「世界中」としたのである。

 

確かに英語のリテラシー能力があるにこしたことはないが、英語が使えるだけで世界中の人とつながることができるというのは大きな誤解である。

 

重要なことは英語以外の言語にも目を向け、幅広い視野を持って生きていく必要がある。

 

最も恐ろしいことは、英語ばかりに目が行き過ぎ、他の言語を軽視してしまうことである。

 

確かに英語の能力が高いことは大きな力となるが、その力だけを伸ばし続けると傲慢な人格を形成しかねない。

 

他の言語にも敬意を払い、それらを学習することで、幅広い視野をもった人格を持つことができるようになるだろう。